創価ダメだしブログ

創価・顕正、その他異流義破折と日蓮大聖人の仏法を正しく伝えるブログです。日蓮正宗への勧誘サイトではありません。

過去の栄光でマウント。

「俺は昔こんなに凄かった」って過去の栄光の自慢話でマウント取ってる人いますよね~。先日も飲み屋ので「俺は昔、こんなに売上をあげた。俺の力で会社を大きくした」と部下らしき子に自慢している中小企業のサラリーマン風のオジサンに遭遇しました。こういう人は嫌われるんだろうなぁって内心思いつつ過去の栄光でマウントを取ろうとしているその姿に憐みすら感じましたね。創価民もこのオジサンと同じですね。「創価学会日蓮正宗を大きくしてやった」という連中が本当に多い。でも現状をみると創価学会のお陰で日蓮正宗は大きくなんかなってませんよ。確かに一時はそういう時期もありましたが破門された時にほとんどの学会員は日蓮正宗から離れたのです。だから実際には創価のお陰で増えた正宗信徒なんて微々たるもので創価は言うほど正宗に貢献なんてしていません。その後私のように創価から正宗に移籍する人も増え正宗信徒は増加してるけどそれは創価が増やしたわけではなく正宗の僧俗が折伏してるのであって創価は無関係なわけです。そもそも今の段階で「創価学会のお陰で正宗は~」なんて言っている創価民の連中はマウント取るほど日蓮正宗創価学会時代に正宗に貢献なんてしてないでしょう。一時期正宗に貢献した学会員は全員「日蓮正宗信徒の創価学会員」なのだから「日蓮正宗の信徒として当たり前」のことをしているだけでそんなことでマウントをとろうとする今の創価民の恥かしさは先日飲み屋で遭遇したオジサンに相通じるものがあります。いや、先日のオジサンは「自分か売上を上げた」という過去の実績がある分まだマシですね。いまの創価民は「他人(日蓮正宗創価学会員)の過去の実績」で頼りに自分では何の実績もないのにマウントを取りに来るのだからもう人格障害とか思えないレベルです。またこのような創価民は創価が正宗に一番供養をしたといってマウントを取りにきますが、創価が正宗に供養していたのはせいぜい50年間だけの話です。対する法華講はどうでしょう。法華講は大聖人ご在世の頃から800年近くにわたり大聖人と富士門流にご供養し続けているのです。南条時光四条金吾富木常忍も阿仏房も全員法華講員です。それからずっと今日に至るまでの全ての法華講員とたったの50年間しか正宗に供養してこなかった創価学会と現在の貨幣価値に換算して「どちらが多く」供養したかは明らかで創価が正宗にしてきた供養など金額も期間も法華講の供養に遠く及ばない。それだけでなく創価民は供養を「してやった」法華講は供養を「させてもらった」。そのご供養の精神は金銭的・期間的なこと以上に創価法華講に及ばないわけです。それが真実です。そんな状況に置かれながら「創価のお陰で云々」と法華講に対しマウントを取ろうとする創価民は本当に恥ずかしい。破門されて30年近く経過しているに過去の栄光にしがみついてみっともないですよね。それを言うなら、山崎正友や原島崇・福島源次郎などの各氏も創価池田大作を守ってきたという輝かしい過去の実績があるわけです。それを仏敵呼ばわりしているのは当の創価民でしょ(笑)「してやったこと」はいつまでもネチネチいって「してもらったこと」はすぐに忘れるのが創価民なんですね~。だから嫌わるしバカにされるんですよ。過去に創価日蓮正宗信徒でその時は一生懸命弘教し宗門を外護してきた事実は知ってますしその時の創価池田大作は称えられべき功績を残したとは思いますが、今は正宗の信徒でもないし現在の法華講を増やしたわけでもない。今の創価は大聖人仏法を人々に捨閉閣抛をさせる謗法の邪教に過ぎない。結果を見れば創価・池田は謗法者を増やしただけで大聖人仏法に何一つ貢献などしていないわけです。そんな創価民が正宗の僧俗からマウントとろうなんて片腹痛いですなぁ。いつまで「一時だけ」頑張って大聖人仏法を信仰して頃を自慢しているんですかぁ?仏道修行を自慢するなんて仏教徒として恥かしくないんですか?


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