創価ダメだしブログ

創価・顕正、その他異流義破折と日蓮大聖人の仏法を正しく伝えるブログです。日蓮正宗への勧誘サイトではありません。

成田信剛がネット界隈に進出。その思惑を考察する。

少し前に成田信剛のSNSのアカウントと遭遇した。検索してみるとSNSのアカウントの外に個人のオフィシャルサイト作っていた。成田信剛とは浄圓寺を創価の総代と共謀して占拠し、日蓮正宗の御本尊である日寛上人御書写の御本尊を正宗の許可なく勝手に創価に提供した正宗・法華講から見れば「盗人坊主・成田宣道」の次男で、サイトのプロフで本人も言っているように還俗経験のある出戻り坊主である。なぜ「坊主」と呼ぶかというと彼は一人前に修行した「僧侶」ではないからである。そこらの一般人が坊主頭にして袈裟衣をつけただけのコスプレ坊主なので「僧侶」とは呼ばない。以前彼は宗門から破門(僧籍剥奪)されたのを不服として宗門を相手取って裁判したこともあるそうだ。宗門から離脱し日顕上人を誹謗しておいて「僧籍だけはよこせ」とは、会社をクビになった人間が社員証だけよこせと言っているようなものでまるでギャグである。青年僧侶改革同盟なる脱落離脱小僧は概ねこんなものである。そんな成田信剛のSNSに私がリプをしたのは彼が、「学会の折伏日蓮正宗を、御本尊様を知った人がほとんどだという事実を宗門は謙虚に受け止めねばならない。学会も宗門があったからこそ世界に広宣流布できた事も事実。お互いに切り崩し・罵倒合戦を収束し対話する時です。」(太字は成田信剛のツイッターより転載)とツイートしていたから。罵詈雑言は止めてちゃんとした対話を求めてのことある。他の法華講員さん数人も彼のSNSにリプをしていた。私同様に彼とちゃんと対話ができるだとうと思っていたに違いない。ところが彼は創価や彼に批判的な法華講員のリプは全部無視したばかりか、学会活動家小僧のリプに対し、

「学会の赤誠のご供養でここまで整備された事も理解してないんじゃないですか、居座っているっていうことは(笑)さもしいですよね。宗門はもともと感謝できない人ばかりなんで、今の𩸽講もさほど信用されてない事を知ったほうがいいと思うんですけどねー。特に元学会の右翼系は。住や家族も嫌がってます。」

※「残念ですが、昔からなんですよね〜。人をコケ下ろすのが戦いと教わってきてるんでしょうね。何のメリットもないんですが。どこにもゴロツキグループが一定数いますね。」

などと発言した。自分で罵詈雑言はよくないと言ったその舌の根も乾かないうちに、自分自身が率先して法華講を「𩸽講」などと罵詈し、「ゴロツキ」などと誹謗している。彼のSNSを読めば分かるが、私も含め法華講諸氏は、確かに彼の発言を批判し疑義を呈しているが、彼から「ゴロツキ」と呼ばれるようなリプを入れている法華講員はいない。宗創和合だとか誹謗中傷はやめて対話しようとか言っているが、法華講に対して最初に誹謗中傷しているのは当の成田信剛の方である。しかも彼の主張に法門法義の話は全くないし戒壇大御本尊の事や父親の成田宣道のことを法華講に質問されても、何も答えない。否、答えられないのである。もっとも修行が嫌で還俗した過去を持つ所化小僧のコスプレ坊主に法門を語れるわけないのだろうが、外見だけでも僧侶のふりをしているのであれば多少は日蓮大聖人の法門を語って欲しいものだ。言っていることが創価小僧と同レベルでは恥かし過ぎる。さて、そんな成田信剛が何故ネット界隈に進出してきたか私なりに考察すると、彼の主張の骨子は「学会員も法華講員も仲良くしましょう。」ということで、それなりに創価側も批判の対象になっている。つまり完全創価擁護でもない。そこから推測すれば、創価と宗門の敵対関係を快く思っていなかったり、日蓮正宗創価学会時代に戻りたいと思っている学会員と法華講員をターゲットにし自分の檀徒を増やそうと画策しているのではないだろうか。オフィシャルサイトとSNSアカウントをほぼ同時に作っているのはSNSからサイトに誘導する一般的手法である。そしてサイトには御丁寧に「問い合わせフォーム」が設置されてる。「ああ、そういう事ね。」と思った。学会員と法華講員で各自の現状の組織や活動に不満がある人を狙い撃ちするという思惑ではないかと感じたわけである。いうならば宮川雄法と同じ穴の狢といったところか。創価は僧侶不要論だから創価坊主に明るい未来はない。将来の為に自分の檀徒作りをしようと思うのは当然と言えば当然である。そこでネットを利用して創価法華講双方にアプローチをしているといったところが本音・真意ではないかと私は思っている。それ自体は別に非難することでもなんでもないが、日蓮大聖人の仏法をエサに檀徒を釣り上げようという魂胆は看過することはできない。大聖人の仏法を自称するのであれば、戒壇大御本尊の件や池田創価の教義逸脱、さらには父親である成田宣道のことなどを真摯に総括すべきである。それもしないで大聖人の名を騙るのは不届き千万だろう。だたそんな檀家を集めてもおそろらく実入りは少ないだろうし期待ほど集まらないだろう。それは偏に成田信剛自身が中途半端だからだ。中途半端な人間の元にはやはり中途半端な人間しか集まらないのは世法でも道理である。彼の場合は再度還俗してコンビニのバイトでも始めた方が身のためだと思うがな。坊主コスプレで食っていけるほど甘い世の中じゃない。というわけで、成田信剛について今日は書いてみたが彼を「呼び捨て」にしたのは「ゴロツキ」と呼んでくれたお礼であるので気にしないでくれたまえ。(笑)法門には法門で礼儀には礼儀で返すのが世の常識なのだから罵詈雑言には罵詈雑言で返さなければ失礼であろう。それと自分が所属する寺院名くらいサイトに記載したらどうだね?法華講から破折されるのが怖い気持ちは分かるが、そういうところも中途半端だぞ。他宗の僧侶はみな所属を明言しているぞ。それが「僧侶」としての振る舞いだと思うぞ。

 

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