創価ダメだしブログ

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他門流寺院見聞記⑥【真間山弘法寺・日蓮宗】

4月に中山法華経寺に行った帰りに『真間山弘法寺』に立ち寄りました。法華経寺から車で20分位走ると小高い丘の上に弘法寺があります。駐車場もありました(無料)真間弘法寺といえば大聖人の御書にも「真間仏供養抄」がありますが元々は奈良時代行基が、手児奈(てこな)為に「求法寺」という一宇を建てたのが始まりだそうです。手児奈は自分の為にたくさんの男性が争っているのを悲しみ入水自殺をしてしまった美女だそうで、万葉集にも【葛飾の真間の井見れば立ち平し水汲ましけむ手児奈し思ほふ】と詠まれています。その後、空海が当所を訪れ「弘法寺」と改名だれて天台宗となりますが鎌倉時代に時の住持・了性法印と富木常忍との法論があり、法論に負けた了性法印が逃走したことから富木常忍の管轄となり日頂上人を開山とすることになりました。しかし日頂上人は常忍より勘当され住持の職を追われるカタチで弘法寺を後にして富士・重須へ戻ります。弘法寺が身延に吸収されたのは江戸時代の身池対論にて池上側が敗北したことによるものだと思われます。身池対論については別の機会に詳しく書きますが、池上・中山等の不受不施派はこの時に身延に吸収されます。

参道の階段を昇り切ったところにあるのが「仁王門」です。

参道の階段です。画像だと分かりずらいですが丘陵地にある寺院なので眺望も良好です。歩行者の抜け道(裏道)として使われているらしく境内を通り抜けしていく歩行者が結構いました。

仁王門をくくって右手に「腰袴の鐘楼堂」があります。

樹齢400年といわれる「伏姫桜」(枝垂れ桜)は有名らしいですが、この日は既に桜の時期を過ぎていて葉桜になっていました。伏姫桜という呼び名は、南総里見八犬伝の伏姫にちなんでつけられたという説もあるようです。

伏姫桜の後方に寺務所・客殿・本堂が横並び並んでいます。これらは結構新しめの建物でした。

鐘楼塔の反対側に「寺朱雀門(赤門)」があって古刹の雰囲気があります。

赤門の奥に、「真間法華道場」(旧書院)があり

道場のそばに「太刀大黒尊天堂」という堂宇がありました。里見龍神御神体だそうです。

ここが「祖師堂」だと思われます。

こんな感じの真間弘法寺でした。そんなに広くないので30分足らずでひと回りできます。真間弘法寺といえばやっぱり日頂上人を思い浮かべますね。五老僧の一人として異流儀に数えられてしまう頂師ですが晩年は重須に帰り日興上人に帰伏したとも伝えられていて頂師に関しては「惜しい」という感覚を抱いています。そんな頂師開山の弘法寺ですから開山が日興上人に帰伏したように弘法寺もやがて日蓮正宗に帰伏することを願っています。そもそも天台宗だった弘法寺が改宗したのは日蓮大聖人の法門によって了性法印を破折したからです。それが天台沙門を名乗る五老僧門下である身延の傘下にあることがオカシイですからね。身池対論なんていわば身延派が幕府権力を使って不受不施派を強引に吸収したようなものですからね。

 

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