いまではすっかり仏敵・反逆者にされてしまった創価学会の元教学副部長・須田晴夫の『創価学会教学要綱』批判本に対して創価男子部教学室が再反論をしている。ところが何をとち狂ったのか、「創価学会においては、釈尊も日蓮大聖人も「拝む対象」ではない。氏は「本仏」と「本尊」の概念を混同しているといえる。」などと言いだして、「本仏は本尊ではない」というとんでもない主張を始めてしまった。これは大聖人の御本尊の基本である人法一箇を完全否定したとんでもない暴論だ。これま私は創価本尊に仏力・法力が備わらないので創価本尊を偽本尊と主張してきたが、こうなると御本仏を礼拝(拝まない)創価学会員の信力は邪信になるから、創価本尊の真偽は関係なく学会員の信心そのものが謗法であるということになる。いまさら説明することでもないが、「寿量品に建立するところの本尊とは、五百塵点の当初より以来、此土有縁深厚、本有無作の三身の教主釈尊これなり」(三大秘法抄)、「本尊とは法華経の行者の一身の当体なり」 (御義口伝)、など御書の各所に御本尊が人法一箇当体であることが書かれいるし、何より御本尊の相貌の中心には【南無妙法蓮華経 日蓮】と認められておりその本尊に向かって拝んでいるはずだ。それなのに「大聖人は本尊でない」と言い放ったのである。『創価教学要綱』は御書に基づいた教学と言っておきながら御書を真っ向から否定したのである。そもそも御本尊が御本仏の当体でないなら創価本尊とは何なのか?幸福製造機かそれとも宇宙の法則か?どちらにせよそれならば彼らは機械や法則に水や樒・線香・お供物を供えていることになる。機械や法則に給仕するなんていくなんでも面白過ぎだろ。また創価教学室は大聖人仏法に留まらず、教学要綱で「根本の仏」と言っていた釈迦仏も礼拝しないと言い出した。三宝帰依は仏教の基本で、阿含経典においてさえも人々は釈尊(仏陀)を礼拝している。仏を礼拝(拝む)するからこそ仏教徒なのだ。ところが創価教学室は釈尊も大聖人も礼拝する対象ではないと言い切る。それを推奨する創価学会も肯定する創価学会員も大聖人仏法の信徒どころか仏教徒ですらないということだ。つまり創価学会は原田たちが勝手に創作した教えを信仰する宗教で、統一教会・エホバ・幸福の科学などと同様のセクトであり、仏教や日蓮大聖人を利用して世間や会員を騙しているカルト教団なのである。さすがに今回の創価教学室の見解には現役創価学会員からの反発も大きくSNSなどで創価教学室批判が多く散見されている。哀れなのはそんな創価教学批判に対して有効で理論的な反論ができず罵詈雑言か逃走する以外に対抗できい創価学会員達である。いつまでも創価教学を無理やり擁護していないで自宗の教義が破綻したら潔く教団を去るのか正直な宗教者・信仰者の取るべき態度だと思う。それにしても原田稔の長男である星一郎が教学部長に就任してから、そして池田が死んでからの創価教学の邪教化は猛スピードで進んでいる。大聖人も釈尊も礼拝しない創価は今後は何を礼拝するのだろうか。やっぱり最後は池田大作仏に落ち着かせるのだろうか。そうなっても創価を擁護する会員がいるのだろう。無惨としかいいようがない。
■soka youth media▶男子部教学室論考 不適切な御書解釈の数々と曲解に基づく批判を斬る - soka youth media
創価学会の退会方法(静かに創価を去るために) - 創価ダメだしブログ
▼一日「イチ押し」お願いします