一月ほど前になりますが友人と千葉県市川市にある『正中山(しょうちゅうざん)法華経寺』を見学してきました。法華経寺は大聖人が松葉ケ谷の法難を逃れ下総の富木常忍(日常)・太田乗明の外護を受けていた時に、富木殿が大聖人の為に自邸に建てた法華堂が起源です。富木殿・太田殿に関してはいずれ詳しく記事にしたいと思いますが。大聖人はこの法華堂を拠点に下総に教線を延ばされました。大聖人滅後に富木殿は出家して日常と名乗り自邸の法華堂を「法花寺」と改め初代住持となり、また太田乗明の子息の日高は父・乗明の屋敷を「本妙寺」として2代住持になりその後、旧主である千葉胤貞の帰依を受け俗別当に迎え胤貞猶子の日祐を3代目住持としました。日高以来、「法花寺」と「本妙寺」の住持は兼任でしたが、天文14年(1545年)に法花寺と本妙寺の両寺を合併し「法華経寺」となり現在に至っています。また日常が自邸に建てた法華堂は現在は「奥の院」になっています。境内は広く大仏や五重の塔などもあり参道にはお店もあって門前町になっていますので。少し離れた「奥の院」まで散策すると急ぎ足で見て回っても1時間はたっぷりかかります。境内に無料の駐車場がありますが、完全に観光地化しているようですから週末や桜の時期には有料駐車場を利用することになるのかな?と感じました。
「仁王門」です。この手前に総門?があり両サイドに商店が並んでいて門前町を形成しています。
「仁王門」の横に、日蓮宗お決まりの大聖人の像があります。今回、法華経寺で大聖人を感じることができたのはここだけでした。
「仁王門」から参道が続いています。
参道を歩いていくと正面に「五重の塔」が見えてきました。この手前に茶屋らしきお店がありそこで昼食をとりました。
「五重の塔」です。桜や紅葉の頃にはキレイなんだろうなぁ。この日は既に桜は終わっていました。まぁその分、人出も少なくてよかったかもしれません。
「五重の塔」の隣には何故か大仏が。
更にその近くには日常(富木常忍)の像。大聖人は無視です。
「荒行堂」です。ここ法華経寺は「荒行」で有名ですからね。毎年、ここで日蓮宗の大荒行が行われます。大聖人の修行に荒行なんてないんですけどね。
一番メインで見学したかった「祖師堂」は残念ながらリフォーム工事中。ここが見学できなかったので大聖人感がまるでないお寺に来ちゃった空気になっていましました。しかし、せっかく来たのだから気を取り直して見学続行です。
本堂と祖師堂をつなぐ廊下の途中にあるのがこの「宝殿門」です。ここを通って少し行くと
「聖教堂」という建物が有って地元の方が言うには、ここに大聖人の御真筆の「観心本尊抄」等の国宝級の御書が保管されているらしいです。
本堂の中に「鬼子母神堂」があり、鬼子母神が祀ってあります。「江戸三大鬼子母神」らしいです。なんでも、小松原法難の時に鬼子母神が大聖人の御命を救ったそうで法華経の行者の守護神として鬼子母神を祀っているそうです。
さて、法華経寺の境内から出て5分ほど歩くと「奥の院」に到着します。
奥の院の本堂です。
「本堂」の脇には日常像が。ここは日常の元屋敷ですから仕方ないだろうけど、大聖人感は全くありません。
境内には日常の廟所がありました。
と、「正中山法華経寺」はだいたいこんな感じです。「祖師堂」が見れなく残念ですが、なんだかんだ昼食時間を含めて2時間弱見学してきました。日常(富木殿)は「観心本尊抄」や「立正安国論」という二つの国宝を含め多くの御書を賜り、今日までその御真筆を厳護したきた法華経寺の歴代僧俗の功績は素晴らしいですが、(身延は開目抄を焼失してますからね)大聖人の御書に示されている御法門・御精神は全く残っていないという残念さといったらありません。しかも今回は「祖師堂」が改装中だったために大聖人を想わせる空気が境内にまるでないという残念にもほどがある見聞になってしまいました。まぁ境内は広くで散歩方々見て回る分には丁度いいかんじですけど。法華経寺はまずは身延の大本山などという立ち位置から単立になりその上で大石寺に帰一してもらいたですね。これだけの威勢があれば、別に身延の傘下に入ってる必要ないでしょ?って思いました。
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