創価ダメだしブログ

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他門流寺院見聞記②【小泉久遠寺・日蓮宗】

今回は、富士宮市小泉にある小泉久遠寺のレポです。興門流・富士五山のひとつで、日興上人の弟子・新六の一人の日郷師の開山です。日郷師は日目上人の最後の天奏に日尊師と共に随行しましたが途中で日目上人が御遷化された為、日尊師はそのまま天奏に行き後の現在の京都・要本寺の元となった上行院を六角油小路に創建し、日郷師は日目上人の遺灰を抱いて大石寺に戻り、その後南条時光殿を継いだ時綱から蓮蔵坊と周辺の土地(東坊地)の寄進を郷師が受けてたことにより、大石寺。日道上人との間で紛争となり、建武2年(1335)に御影・本尊などを持ち大石寺を退出し弘教拠点だった安房の国に戻り法華堂を建立しました。それが今の保田妙本寺です。世間では日道上人と日郷師との間に大石寺法主の座を巡り対立関係が有ったと言われることもありますが、郷師は日道上人から日興上人御筆の御本尊(しかも日道上人が加筆を加えた御本尊)をいただいていますので、郷師は日道上人の血脈相承を認めていて跡目争いは無かったと思われますし、また東坊地の対立もどちらかというと南条家の対立に巻き込まれたという感じで日道上人と郷師の間には深刻な対立はなかったと見ていいでしょう。その大石寺の蓮蔵坊の組織と機能を移したのが現在の小泉久遠寺です。ですから上古の時代においては、保田と小泉は「両山一寺」の関係でしたが、小泉久遠寺は江戸時代に身延との通用が始まり昭和の三派合同の時に日蓮宗となり現在に至っています。正宗では保田や小泉などを「日郷門流」と呼びますが、本来であれば小泉久遠寺北山本門寺と同様に身延・日蓮宗とは無関係なのです。現在の小泉久遠寺が身延・日蓮宗になってしまっているのは、大石寺にとってもそして保田妙本寺にとっても残念な姿です。保田が一時、正宗に帰一したように再び保田と共に正宗の本山格として帰一して欲しいと願っています。

ここらスタートです。

「黒門」です。ここから参道を歩いていきます。

「黒門」から参道が続いていますが、すぐ脇が車が1台通るほどの一般道で参道というより広い遊歩道みたいです。以前は、この参道の脇にいくつか坊があったようですが現存するの坊はひとつだけになっています。

本堂です。

こちらが開山堂(仮本堂)

「客殿」なんだかここだけ目新しい感じがしました。

「大鼓堂」

「鐘楼」

小泉久遠寺の豆知識が書いてある立て看板もあります。

「街中に広い墓地の有るお寺」という感想でした。平日だったこともあり境内に人気はなかったですね。まぁ人気があるお寺の方が珍しいですけど(笑)駐車場は境内の入り口付近にありますので「黒門」を見るためには参道を歩いて戻る感じになります。新東名の新富士インターの近くにあるので車で御登山して、東名または新東名を利用して帰る方はちょこっと立ち寄れる場所にあります。街中だからかそれほど広くないので境内は10分もあれば見学できるので興味のある方は見学してみたらどうでしょうか。それにしても、日郷門流が身延・日蓮宗はないだろう。せめて保田妙本寺と歩調を合わせないとね。

 

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