創価ダメだしブログ

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【法華玄義】の基礎知識②(序と五重玄義)

『法華玄義』は本文に入る前に最初に『私記縁起』『序王』『私序王』『譚玄本序(たんげんほんじょ)四種の序が書かれています。これらのうち『私記縁起』『私序王』は章安大師が『序王』『譚玄本序』は天台大師の筆です。『私記縁起』にはいわゆる天台大師の十徳と呼ばれる事跡が書かれいて『序王』は法華経のエッセンスが書かれています。『私序王』は章安大師の筆なので天台大師の筆の『譚玄本序』は『私序』に対して『本序』と呼ばれます。本文においては『私序王』の中に『本序』が含まれた形になっています。『私序』の最後の【此の妙法蓮華経とは本地甚深の奥蔵なり】以下の文が『本序』の部分になります。これらの『序』の次に本文に入りますがそこにも序章が設けられてそこで最初に五重玄義(五重玄)の説明がされています。五重玄とは釈名(しゃくみょう)・弁体(べんたい)・明宗(みょうしゅう)・論用(ろんゆう)・判教(はんぎょう)の【名・体・宗・用・教】の事で、天台大師は法華経如来神力品第21の結要付嘱の文である「要を以て之を言わば、如来の一切の所有の法(名)、如来の一切の自在の神力(用)、如来の一切の秘要の蔵(体)、如来の一切の甚深の事(宗)は、皆此の経(教)に於いて宣示顕説す」を五重玄の依文として挙げています。そして五重玄の解釈には「通」と「別」があります。この通・別にも「同」と「異」、「共」と「各」という二つの解釈があります。同・意とは五重玄が全ての経典に通用する解釈方法であることを「同」といい、経典によって五重玄の内容が異なることを「異」といいます。つまり全ての経典を対象とした場合の通・別です。対して共・各はひとつの経典だけに適用される解釈です。『法華経』に適用すれば、「共」とは「七番共解」であり、「各」とは「五重各説」のことをいいます。「七番共解」は「略説」であり、「五重各説」が「広説」になります。この「七番共解」と「五重各説」を用いて『妙法蓮華経』の経題の持つ意義を解釈をしているのが『法華玄義』です。さてここで天台大師と日蓮大聖人の五重玄の違いをごく簡単に説明します。大聖人の五重玄とは末法に入て今日蓮が唱る所の題目は前代に異り自行化他に亘りて南無妙法蓮華経なり名体宗用教の五重玄の五字なり(三大秘法禀承事)との御妙判がありますがこの意味は大聖人の五重玄とは即南無妙法蓮華経であるという事です。つまり天台大師の五重玄が「教相・法門」であるのに対し大聖人の五重玄は「観心・法体」だということです。ここの五重玄の立て分けは是非覚えて欲しいと思います。大聖人の御書の中に「五重玄」という言葉が出てきますが、天台大師の五重玄を表している場合と大聖人の五重玄を表している場合があるので読み分けてください。

 

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