創価ダメだしブログ

創価・顕正、その他異流義破折と日蓮大聖人の仏法を正しく伝えるブログです。日蓮正宗への勧誘サイトではありません。

創価学会退会に向かって④積極的に自由を求めよう!

創価学会退会準備中の皆さんは、「消極的自由」と「積極的自由」という言葉を聞いたことがありますか?英国の政治哲学者、アイザイア・バーリンが著書『自由論』のなかで述べている概念です。「消極的自由」とは自分の行動や選択が単純に他人から干渉されないことで「積極的自由」とはより高い価値を求めて自分から自律的に行動する事をいいます。バーリン以前の政治哲学者のエーリッヒ・フロムも著書『自由からの逃走』のなかで、消極的自由とは【~からの自由】、積極的自由とは【~への自由】であると論じ、人々に消極的自由がもたらされたことで孤独が生まれ逆に強い支配者・権力者やナショナリズムに惹かれていきやがて全体主義を支持してナチスを指示したとして積極的自由への逃走が重要であると考察しました。フロムの言に随えば創価活動家は消極的自由へ逃げ込んでいる言えます。草創期の創価は「貧乏人と病人に集まり」と揶揄されたように、貧乏や病気或いは孤独からの自由を求め創価に入会した人が大多数です。決して創価学会により高い価値を求めて入会したのではないでしょう。フロムの言うように自由=孤独を恐れて逆に支配されることを自ら望み創価学会という支配を享受しする道を選択したのです。彼等は「創価家族」という疑似家族に身を置いて自立して孤独になる恐怖から逃れているのです。しかしそのような信仰・組織には自分を解放し自立し真の自由を得る道はありません。だから創価を退会予定の皆さんには積極的な自由を求めて欲しいのです。「創価学会から退会する」のではなく、「〇〇をするために退会する」。「〇〇」は趣味でも仕事でも家族でも友人でも何でもいいんです。単に創価学会を退会することを目的とするのではなく、「何かをするため」「何かを手に入れるため」に創価を退会することを目指してください。創価学会を退会するのは目的ではなく手段なのです。「家にいたくないから家を出る」のではなく「行きたい場所があるから家を出る」のです。「家にいたくない」という理由だけで家出しても行先もなくただ彷徨うだけで最悪は再び家に戻らざるを得なくなってしまいます。これではいけません。創価を退会したあとの目的地を探して決めておくことが大切だと思います。私の場合は信仰は続けたかったので、信仰面では日蓮正宗で私生活では趣味(当然そこには友人達の交流も含みます)が目的地になりました。だから創価に対する私怨は微塵もありません。創価を奇妙な形で退会させられて(私は退会届も自分で出していないし除名にもなっていません)本当に良かったと思っています。世の中には創価にいたら体験できないことはたくさんあり創価学会員以外に友人になれる人たちがたくさんいます。それらを自分から積極的に探してくださいね。

創価学会の退会方法(静かに創価を去るために) - 創価ダメだしブログ

 

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御先師上人御指南抄

『暁鐘』令和2年7月号より連載中の『御先師上人御指南抄』が今月現在で4冊が小冊子で【暁鐘編集室】から出版されています。昨年の御登山の折に総本山の「ブックストアー広布」で発見して購入しました。日淳上人・日達上人・日顕上人の御指南を信心の用に合わせて分類されていて読むことができるという感動モノの小冊子です。私も、日淳上人・日達上人の全集を持っていますが何せ分厚い書籍なので自分が知りたい御指南のページを探すのにひと苦労します(特に日達上人全集は巻数も多いので大変です)そんなお悩み解消の素晴らしい冊子です。しかも1冊385円(信心・修行編2だけ何故か400円)とリーズナブル。1度読んだら終わりという事でなく常に何度も読み返す漢字の書籍ですからコスパが高いです。御当代の日如猊下はもとより御歴代上人の御指南を常に拝して自身の信心を正していかないと自分の信心状態をチェックできません。それを放置して置くと知らぬ間に正信から外れてしまう危険性がありますよね。池田大作が大謗法者に転落したのも法主上人の御指南を正しく拝せず増上慢になり我見・邪見に陥ったからであり、池田以下の創価学会員も池田の指導を受け御歴代上人の御指南に触れなかったから謗法者となったのです。そして今もなお池田謗法教義がさらに創価幹部の我見によって増幅されて創価教義の謗法化は留まるところを知りません。『創価教学要綱』の内容の酷さは過去に記事で書いた如くです。身延日蓮宗顕正会・正信会など血脈相承を否定した異流儀の辿る道は常に同じパターンです。でもそれは決して他山の石ではありません。誰にでも池田や浅井のような大謗法者に転落する可能性は大いにあります。ですからこのように手元に常に置いて御指南を拝する事ができる冊子は有難い。仏壇の近くに置いています。本山では「ブックストアー広布」で購入できます(大日蓮出版では販売していません)またネットでも こちら▶ぎょうしょう から購入できますので気になる方は購入してみてください。これはかなりおススメですよ。

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日寛上人の御書文段の御指南⑧(報恩抄文段上)

問う、報恩の要術、その意は如何。答う、不惜身命を名づけて要術と為す。謂く、身命を惜しまず邪法を退治し、正法を弘通すれば、即ち一切の恩として報ぜざること莫きが故なり。

今回は『報恩抄文段』の御指南を拝します。これは本文の「かくのごとく存じて、父母・師匠等に随わずして仏法をうかがいしほどに~」の部分の御講義です。ここでは大聖人仏法の僧俗の行うべき報恩とは、父母・師匠に随うことではなく「不惜身命」で破邪・顕正の折伏を行うことであると日寛上人は御指南されています。この御文の直前に、「邪法を退治するは即ちこれ報恩なることを明かし乃至正法を弘通するは即ちこれ謝徳なることを明かすなり」と言われていて「報恩」とは邪教破折をすることであり、「謝徳」とは大聖人の正法を弘教することであると日寛上人は言われています。父母・師匠そして一切衆生に対して折伏弘教をしていくことがそれらの人々に対しての報恩謝徳であり翻って自身が成仏する要術です。そして何よりも私達が報恩謝徳すべき一番の相手は「仏法僧」の三宝です。三宝帰依こそが仏法の根幹だからです。当然、三宝一体の義により私たちとって三宝帰依とは戒壇大御本尊様に対する帰依です。日蓮大聖人は『四恩抄』で「しかるに、末代の凡夫、三宝の恩を蒙って三宝の恩を報ぜず。いかにしてか仏道を成ぜん」と御指南されています。正宗信徒は朝夕の勤行の中で、戒壇大御本尊様と当宗の三宝に対して(二座と三座)「御威光倍増御利益広大御報恩謝徳の御為に」と御観念文を読みます。「御威光倍増御利益広大」とは三宝戒壇大御本尊様の恩を蒙ること(功徳を戴くこと)であり、「御報恩謝徳の御為」とは三宝戒壇大御本尊様の恩に報いる事です。勤行唱題や日々の給仕、寺院参詣や御供養など全てが「報恩謝徳」であることは間違いありませんが、一番の要術である折伏弘教をしなければ本当の意味での「報恩謝徳」にならないと今回の日寛上人の御指南から窺うことができます。「何のために折伏をするのか?」恐らくは大聖人仏法の信仰者であると自負している人ならば法華講のみならず創価顕正会員でも一度は考えたことがあると思います。「自分が功徳を得て幸福になるため」「立正安国に説かれている世界(世界平和)を作る為」「御書にそう書いてあるから」など色々な考えがると思いますがどれも間違ってはいません。ただやはり仏法者であり大聖人の信徒ならば日寛上人の御指南の如くまずは戒壇大御本尊様への「報恩謝徳」が折伏行の根本だと心に入れることが大切だと思います。創価・顕正などの邪教を破折することで御本仏の恩を報じ、自分の有縁の人達に大聖人の仏法を語る事で御本仏の恩徳への感謝の礼を尽くす。それがあって初めて自他共の幸福・世界平和・一生成仏等々の功徳を戴けるのです。先ずは御本仏(戒壇大御本尊)への南無の心すなわち「報恩謝徳」の心ありきなのです。創価・顕正は池田や浅井への報恩などといいますが、池田創価・浅井顕正は戒壇大御本尊を事実上捨てた忘恩の人間です。その忘恩の人間に恩返しをすることは、報恩抄の冒頭に書かれている「老狐は塚をあとにせず白亀は毛宝が恩をほうず畜生すらかくのごとし」というような畜生レベルの報恩で仏弟子どころか人間の報恩とは言えない。人間で剰え大聖人の弟子旦那を名乗るのであれば池田や浅井に恩を感じるのではなく、むしろ謗法の師匠を不惜身命で破折することが御本仏への報恩であり、それが池田・浅井等に対する報恩の誠なのです。創価顕正会員は大聖人仏法における報恩謝徳の法義・意義をよく考えるべきです。ともあれ今回の御指南を拝して、戒壇大御本尊・御本仏日蓮大聖人を信じる我々法華講員は報恩謝徳の折伏弘教を忘れてはならないと深く感じました。

 

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科学的思考と宗教

「宗教は非科学的だからインチキだ」と折伏でこのように反論されたことがある人は多いと思う。死後の世界や生命の連続性(過去世や来世)は科学的に証明されていない。つまり非科学的であるから否定する。ありがちな対話だけど私はむしろ科学的に証明されていない事象をインチキと否定する思考こそが科学を否定する「否科学的」な思考だと思います。フランスの学者で「最後の万能学者」と呼ばれたポアンカレはその著書(『科学と仮説』)の中で「科学とは、自然の真理なんてものではなく、観察結果を上手に説明できたり、再現させるのに使いやすい約束事に過ぎないのだ」と語り「科学の99.9%なんて仮説に過ぎない」と主張しています。私もこの意見に賛同します。科学は仮説を立て観察や実験を重ねて実証していくものです。よって科学とは「存在の仮説を立てること」だと思います。何故なら「非存在の仮説」を立てても非存在に対しては観察(自然科学)も実験(物理学)もできないから立証不可能だからです。そもそも「存在しない(非存在)」ものは科学の対象になりません。ですから科学的思考とは存在を否定のではなく肯定する仮説を立てることだと考えます。未知なるものの存在を否定してしまえば科学ではなくなります。それは科学を否定するということです。だから死後の世界や生命の輪廻を科学的に証明されていないからといって存在しないと考える、或いは否定する態度こそが非科学的であると思うのです。科学的に証明されていないからこそ「存在している」と仮定するのが科学的な思考ではないでしょうか。宗教を科学的証明がない事を理由に否定する人達は実は科学的思考ではないというか、神仏が非存在であることを科学的に批判すること自体が議論として矛盾していると思います。そのようなわけで「仮説の存在」である宗教を信じるか否かは別として科学を持ち出して宗教を否定するのは短絡的で軽率です。未知の存在について科学的な思考に基づくならば「非存在」の可能性よりも「存在」の可能性を仮定するのが科学的だと私は思います。

 

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創価学会退会に向かって③退会体験を聞いてみよう!

創価学会を退会するにあたり皆さんの心強い味方になってくれるのは何といっても退会済の元学会員の体験です。当ブログも元創価学会員の私の体験と知識に基づいて創価学会の事がたくさん書いてあります。創価の幹部や活動家は「ネットの学会や池田先生への批判はウソばかり書いてある」と言いますがそんなことはありません。当ブログも池田創価に対する批判的なものばかりですけどウソやデマは書いていませんし、コメントフリーにしていて記事が虚偽だと思ったら創価学会員は好きな時に反論できるようにしていますし要望があれば対論もしています。つまり無根拠の創価批判はしないという私自身の信仰者としての矜持に則って運営しています。確かにネット上では不確実な風聞やふざけ半分で創価批判をしている人もたまに見かけますが、創価で活動をしていた元学会員の方々の体験や意見は非常に信憑性が高い発言が多いです。元学会員は既に創価組織と何のしがらみもないからウソを書く必要はないし創価池田氏を貶める理由なんてありません。そもそも池田創価の世間での評価は低いので敢えてデマを流して評判を落すまでもありません。現役学会活動家に「我儘で創価を辞めた言い訳」と批判されても何の痛痒も感じていませんから退会した事を自己弁護する必要もないというか創価を退会するのに他人が納得する理由など不要です。また元学会員は創価学会員を無理やり退会させるつもりも毛頭ありませんから創価に関する事実を大袈裟にいうこともありません。むしろ現役学会活動家の池田創価擁護発言の方がリアルな学会の実態と乖離していると感じます。現役創価幹部・活動家は創価組織保身・維持のため、また創価活動をしている自己弁護の為にどうしても池田創価を誇張して称賛せざるを得ないから創価組織の負の部分は発言できないのです。創価幹部になった経験がある人ならそんな創価活動家の気持ちも分かります。創価幹部になると「一般会員に言えない事や知られてはいけない事」いわば創価の闇をどうしても見てしまいます。しかし退会してしまえばもう関係ありませんから本当の事を言ってしまうわけです。どこまで創価の闇を暴露するかは各人の判断ですが個人が創価学会での体験談を発言するのは自由です。ある意味で内部告発ですが、驚くべきことに全国の元学会員が口裏合わせしていないのに同一の体験をしています。こうなるとネットに書かれている創価批判はウソ・デマではなく事実だと受け入れた方が自然だと思うわけです。そういう人達の意見をネットで探して読んでみてください。そこには創価学会に騙されたという人はいても創価学会を退会して後悔している人は私の知る限りでは一人もいません。ほとんどの元創価の方々は退会後の人生を有意義に過ごし創価を退会して良かったと言っています。もちろん私も退会して本当に良かったと思っている一人です。創価活動家が言うような創価に対して怨嫉している人も組織内で問題を起こして辞めた人もほぼいません。(私の周囲を見る限り組織内で問題を起こした人ほど組織内に残っています)そもそもが創価幹部・活動家に嫉妬するような人格者はいません(笑)退会するに当たっては多少の不安がある人は退会済みの元学会員さんたちの体験や意見に触れるだけで勇気がわくと思います。世法的にもそして仏法的にも創価を退会する事は残りの人生のプラスになると多くの元学会員が証言しているという事実にぜひ目を向けてください。

sokadamedasiblog.hatenadiary.com

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彼岸会の法要に妻と参詣する。

先日の菩提寺で取り行われた彼岸会の法要に妻と一緒に参詣してきました。一昨年の11月に御授戒を受けた妻ですが今回が昨年亡くなった私の母の法要を除けば初めての寺院参詣でした。昨年は私の母だけなく妻の父も亡くなり今回の彼岸では妻が自分で父親の塔婆供養をしました。そして「せっかく塔婆を立てたのだからお寺の法要に一緒に行く?」と誘ったところ「たまには行ってみる」と一緒に参詣することになりました。これまで御登山や寺院に誘っても断られていたので正直彼岸会に一緒に行くとは思ってなくていい意味で予想を裏切られました。勤行はできないし(経本を黙読するだけ)唱題も恥ずかしいのか少ししかしませんでしたが、それでも自分で父親の塔婆を立てお寺にきて焼香した妻に私も嬉しかったし何よりも亡き義父が喜んでくれているだろうと思います。お寺から帰宅する車中で妻に「もしこれが創価学会の会館に誘ってたら来た?」と聞いたところ、「創価学会の会館ならいかない」と即答され「だよね~」と思わず笑ってしまいました。時代が変わろうと一般的な感覚としては、やはりお寺で僧侶にお経をあげてもらうのが法事なんですね。創価でも彼岸勤行会をしているけど、池田大作がいくら「坊主に拝んでもらわなければ、お彼岸にならない。供養にならないなどという考えは、完全な迷信にすぎないのである」とか「彼岸といっても、特別な日を決めて坊主に拝んでもらう必要など、まったくない」と言ったところで多くの世間の人達はそんな風に思っていないのです。法事は儀式が重要でないという創価の主張を受け入れる人は少ないでしょう。現役創価学会員さんでも創価の法要に違和感を持っている人も実際に私の周囲にもいます。それは信仰というのは儀式が重要だと多くの人は知っているのです。何故なら儀式は心の姿だからです。特に心を大切にし儀式を重んじる日本人なら尚更です。だから法要や塔婆を「坊主の金儲け」なんて思わない。母の日にカーネーションを買うのを「花屋の金儲け」と思う人はいませんからね。普段から人の振る舞いが大切だと言っている創価員が儀式(化儀)を蔑ろにするのは自語相違です。釈迦の仏典では仏に教えを乞うときはまず「右繞」して「仏足頂礼」する儀式は定番です。それが仏に説法を乞う時の振る舞いです。勤行の時にリンを鳴らすのは礼楽の儀式(振舞い)です。法要の時に最初に御本尊に献膳するのは儀式(振舞い)です。儀式(振舞い)は観心。観心は信心。「化儀即化法」だから儀式を尊ぶ自身の振る舞いと心に善根が積まれ故精霊に追善回向ができるのです。「迷信」でもなんでもない。むしろ仏法の儀式を否定することが信心に迷った「迷信」です。そういう儀式(振舞い)を全て省略して凡夫同士が集まって合同で勤行唱題する創価の法要に何の意味があるのでしょう。自宅で一人で勤行唱題するのと何が違うのでしょうか。しかも儀式を否定しておいて御本尊に供養だけは受け付けしかもその供養を御本尊にお供えすることもしない。それでは「金さえ出せば先祖を成仏させることができる」と言っているのと同じです。そんな道理の通らない供養を創価にするくらいならば塔婆を立てて御供養を御本尊にお供えしてもらい御僧侶と一緒に勤行唱題をするという儀式に参詣した方が気分がいい。いまの創価学会員さんは威儀を正した法事の体験ができず可哀そうだなと思います。(特に子供や若者は可哀そう)早く創価を辞めて正宗に戻り家族そろってお彼岸やお盆の仏事ができるようになればいいですね。話が逸れてしまったけど、今回のお彼岸は初めて妻と二人で法要に参詣出来て本当に良かったです。今度は一緒に御登山するのが目標です。少しずつ妻の信心が育っていけばいいなと思ってます。その為には私自身の信心の姿勢が重要ですね。責任重大です。

 

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創価怪文書『地涌』を破す③(創価幹部に論証された『地涌』のデマ)

創価怪文書地涌』は今読み返すと本当に無根拠のデマと無教学のホラばかりで笑いを取りに来ている文書であることがよくわかるのだが、そんな『地涌』のウソ・デマはほぼ正宗側から破折されいてるのにも関わらず今だに『地涌』(フェイク・新報いった地涌の後追いも含む)の論説を主張してくる創価活動家がいるのにはほとほと呆れる。『地涌』のデマ記事ではなく大聖人仏法の法門で勝負してくる学会員がいないというのは元広宣部としては忸怩たる思いだ。『地涌』の論説を代弁する創価員は「地涌の記事がデマだと証拠はない」といってデマ記事の正当性を主張するがこれは【無知に訴える論証】という誤謬であり正しい論理として成立しない。この場合立証責任は『地涌』の記事が正しいことを主張した創価員にある。従って『地涌』の内容が正しいという論証をしなければならない。「デマという証拠がない」というのは立証責任を果たしていないばかりか、相手に立証責任を押し付けるという非常に姑息な手口である。もっとも『地涌』の記事がデマであることは奇しくも秋谷栄之助等の創価幹部達が当の昔に論証している。聖教新聞に掲載された座談会の内容を書籍化した『旭日の創価学会70年(2)』で彼らは【デマの定義】として「”いつ・どこで・誰か”がないことである」と述べている。

これらの”いつ・どこで・誰か”が明確でない話は全て作り話のデマである”定義し秋谷会長(当時)等は山崎正友氏の話は「デマである」と断罪している。さて件の怪文書地涌』の記事はどうであるか検証するとこれらの”いつ・どこで・誰か”が明確でない話は全て作り話のデマであると秋谷会長(当時)を筆頭に発言し、だから山崎正友の話は「デマである」と断罪している。そこで『地涌』の記事はどうであるか検証すると、ほぼ”いつ・どこで・誰か”が記されない。創価基準に従えば『地涌』に書かれている大半の内容は【全て作り話のデマ】という結論になる、そもそも『地涌』は筆者も偽名で発行元も不明でそれだけでも十分に信用に足りない怪文書であることを知らなければならない。創価員が怪文書の『地涌』の記事を信用するのは自由である。しかし『地涌』の記事を基に正宗の僧俗を批判するのであれば、「地涌が本当のことを書いている証拠」を提示しなくては『地涌』の記事内容は正宗批判の根拠とならない。それもなく『地涌』のデマ記事で批判するのは詭弁にもならない単なる強弁である。幼児がおもちゃ売り場で駄々をこねて自分の我儘を通そうとしているのと同じだ。このような人間はMCされているか発達障害かそれとも境界知能かいずれにしても何かしらの思考的・精神的障害を抱えていると考えざるを得ない。そんな連中が大量に所属している創価学会という教団に原因があると思うのも無理のないことだろう。また世間から創価学会が疎まれ嫌われるのはジャイアン理論で強弁を押し通すとする大量の学会員の存在があるからではないだろうか。いずれにしても、『怪文書地涌』がデマであることは創価の首脳幹部が論証しているのだ。ついでにもうひとつ『旭日の創価学会70年(2)』から創価首脳の発言を挙げておこう。

山崎正友氏が使う「陥れの手口」のひとつに「すぐに怪文書を作って騒ぐこと」というものがあるらしい。山崎氏は「怪文書マニア」だったそうだ。いやいや、これって創価学会の自己紹介としか思えないだろう。『地涌』『フェイク』『改革通信』『短信』『越洋』と様々な怪文書内容を『聖教』『新報』に転載して使っているのだから山崎氏よりも創価の方が「怪文書マニア」じゃないか(爆笑)

■関連記事▶創価の怪文書。 - 創価ダメだしブログ

 

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