創価ダメだしブログ

創価・顕正、その他異流義破折と日蓮大聖人の仏法を正しく伝えるブログです。日蓮正宗への勧誘サイトではありません。

浅井親子の驕慢な信心と異流義への堕落

今年の初めだったと思うが、『浅井昭衛の信仰』という小冊子を購入した。『慧妙』の連載をまとめた小冊子で元妙信講(顕正会)が異流義に堕ちた歴史が簡単に書かれている。顕正会の歴史については創価広宣部時代から多少は学んできたが改めてこの小冊子を読むと浅井昭衛の驕慢な信心が顕正会(妙信講)を異流義へと貶めた根本であることが良くわかる。本書の内容を要約すると、昭和30年代後半に日達上人が法華講全国連合会を結成した折に妙信講はこの連合会は創価池田大作法華講を統制するために日達上人に作らせた組織であるという妄想をし浅井親子率いる妙信講は連合会の加入を拒否した。しかも拒否の理由は、「程度の低い連中とは一緒にやれない」「信仰の確信なき指導者(法華講連合会の平沢委員長のこと)の指導は受けられない」という同門信徒を見下したものだった。この時点で浅井親子は驕慢謗法であり破和合僧の五逆罪を犯していた。その後、所属寺院の住職(妙縁寺・松本師)の指導により止む無く連合会に加入したものの協力はしないという態度が続き、そうした妙信講に対して連合会は連合会としての登山は参加させないという処置をとった。(それに対し浅井甚兵衛は平沢委員長に脅迫めいた暴言を吐く。顕正会の暴力体質は妙信講時代からの続いているのである)以後5年間にわたり妙信講は登山をできずにいたが日達上人の慈悲により昭和44年1月7日の正月登山への参詣が許されたが、着山から下山に至るまで浅井親子は誘導係の法華講員に難癖をつけていた。「妙信講の講頭と知って侮辱するか。無礼は許さん」という昭衛の法華講員に対する台詞は自分達が特別であるという思い上がった発言である。そしてこの登山の時の大講堂での法華講連合会・平沢委員長の挨拶の中で正本堂を事の戒壇であるという発言を捉え登山していた妙信講員を集めて「正本堂が大聖人の御遺命の戒壇とはとんでもないことである」と批判の声を上げた。これが浅井の正本堂批判の初出である。それまでは正本堂を批判するどころか妙信講を挙げて正本堂に御供養をさせていただく等の発言があり正本堂を歓迎していたのである。つまり浅井が正本堂批判をしたのは、法華講連合会や宗門・創価学会への怨嫉であり、御遺命の厳護などという気持ちなど全くなかったわけだ。国立戒壇論をはじめ現在の顕正会の主張は全て浅井の驕慢謗法と私利私欲を隠蔽する「後付け」に過ぎない。このように顕正会の教義は最初から感情論なので浅井昭衛の主張は全てその場しのぎで、確固たる信念や理論が全くないからいう事がクルクルと変わるのである。それにしても「驕慢」は異流儀に堕ちる連中の共通の出発点だ。浅井親子が登山会で不快な想いをしたのは事実だろう。でもそれは「自分達の思い通りにならない」という我儘でしかない。戒壇大御本尊にお目通りすることが喜びであり有難いことだと思っていれば、誘導係に我儘言ったり恫喝したりすることなどない。他人に横柄な態度をとられようが命令されようがそんなことは些細なことだ。そもそも戒壇大御本尊のまします大石寺の境内で同門信徒を批判したり恫喝したりすること自体が間違っている。大聖人から見たら妙信講の講頭だろうとも創価学会の会長だろうと関係ないのである。浅井も誘導係の青年も同じ信徒なのである。◆又此の法門の一行いかなる本意なき事ありとも・みずきかず・いわずして・むつばせ給へ(陰徳陽報御書)との大聖人の御指南を何と心得るのか。「南無」とは「無私の信心」である。「無私」とは一切の我見・我儘を差しはさまないことだ。「無私の信心」であれば他人を羨んだり怨嫉することはないし他人を見下したり恫喝したりしない。他人にどう思われようと関係ない。大聖人からどう思われるかが大切なのである。浅井も池田も御本尊ではなく自分中心の我見信心だから異流儀に堕し破門されたのである。現役の顕正会創価学会員もまた同じである。「無私の信心(南無の心)」があるのならば顕正・創価を退会して戒壇大御本尊の許に戻るべきである。浅井や池田に執着して大聖人仏法から外れた異流儀信仰を続けていては即身堕獄である。

 

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