曼荼羅一幅に三宝を具するは、すなわち合帰の事相にして、別体の三宝はすなわち妙法の曼荼羅より開発したる事相なり。故に、一体三宝も、その実体一にして、ただ開合の異なるのみ。譬えば、扇子の開きたると開かざるとは、その形容異なりといえども、その実体、毫も異なることなきが如し。しかるに、扇子本来の得能を知らしむるは、これを開き、もって動揺せしむるに如かず。今また、かくの如く下種の三宝の恩徳をして容易に知らしむるは、別体三宝の事相を示すに如くなし。
第4章は、51節だけで当節は日守が当門流の本尊の安置式、特に三宝別体の安置式に実利がないと誹謗してきたことに対する日応上人の破折が書かれています。この部分は、以前当ブログで既に取り上げています。気楽非活氏が日守と同じように当門流の安置式について、「統一されていない」という発言を氏のブログで発表していたことに対し私が日応上人のこの御指南を引用して反論したのです。その記事はリンクしたのでそちらを参考にしてください。当該御文についての解説もその記事で書いています。また日蓮正宗の御本尊安置式の種類と意義についても過去に記事にしていますので、そちらもリンク先の記事に詳しく書いてありますが、ざっと当宗の御本尊安置式を説明すると、御本尊の安置式には三宝一体式と三宝別体式があります。三宝一体式とは曼荼羅御本尊だけを安置する方式で、各自の自宅の安置方式です。三宝別体式とは総本山の客殿の様に、御本尊を中心に、向かって左に日蓮大聖人の御影、右に日興上人の御影を安置する方式で、三宝別体式で安置している末寺もあります。(古刹寺院に多いように思います)そして、総本山の御影堂のように御本尊の前に日蓮大聖人の御影を置くのが住持三方式で、この方式は三宝一体式に属します。日守や創価員、アンチ正宗の無知の者たちが御本尊の安置式を理解できないのは、当宗における三宝の拝し方を知らないからです。以前の創価は僧宝は日興上人だけと、日寛上人等の御指南を文証にして法主上人を誹謗していましたが、彼等の引用する日寛上人の文証は、三宝別体の御指南であり住持三宝の事ではありません。ひと口に三宝といってもそこには総別の立て分けがあります。総じて言えば戒壇大御本尊が三宝(一体)ですが、別して言えば久遠下種三宝とは、南無妙法蓮華経と日蓮大聖人・日興上人です。さらに住持三宝とは久遠下種三宝の上に立てられた化儀の法体を流通・伝持していくために住される三宝なのです。つまり御歴代法主上人は伝持の僧宝であり、書写の本尊は伝持の本尊です。しかしそれらは三宝一体の体である戒壇大御本尊を開会した姿ですから戒壇大御本尊に帰一されなければ法体とならず、信徒の視点ならば戒壇大御本尊に信を取らなければ久遠下種三宝に帰依したことにならないので謗法になります。いずれにしても御本尊の安置式は化儀ですから、無知・無信心の門外漢がとやかく口出しするようなことでもありません。
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