キサー・ゴータミーは貧しい家の生まれで、痩せていたので「痩せた(キサー)ゴータミー」と言われていました。成長し富豪と結婚し子供にも恵まれましたが、病で愛児を失います。その頃、釈迦は祇園精舎に滞在していました。舎衛城の街をキサー・ゴータミーが死んだ子供の亡骸を抱いて、半狂乱で愛児が助かる薬を探し徘徊していました。既に死臭が漂う死体を抱いて街中を裸足で走り回る彼女の姿を見て知人達も同情しますが、既に死んでしまった子供を生き返らせる術もなくだた哀れに感じるだけです。そこである者が見るに見かねて、「祇園精舎にいる仏陀ならばその子の病を治せるだろう。」と言います。これを聞いたキサー・ゴータミーは喜んで仏陀の許へ馳せ参じ、愛児の病を救って欲しいと懇願します。我が子を生き返らせて欲しいという彼女の願いに、仏陀は白いケシの実を見つけてくるように言います。だたし、その芥子の実はこれまでに一度も葬式を出したことがない家、つまり一度も誰も死んでいない家で貰ってこなければならないと言いつけます。こうしてキサー・ゴータミーは死んだ子供を抱いて再び家から家、街から街へと死人を出したことのない家を終日探し求めましたが、そのような家はとうとう見つからないまま夜になり、暗い夜道を色々と考えながら歩いていると、ふと誰も死んだことのない家などあるはずもなく、人生に別離の悲しみは避けられないことに気付き、その現実から目を逸らさずに向きわなければならないと悟ります。キサー・ゴータミーは愛児の亡骸を弔い、再び祇園精舎の仏陀の許に戻り仏陀の弟子に加えてもらうことを願い出たのです。このキサーゴータミーの話は、法句譬喩経(ほっくひゆきょう)に書かれています。尼僧になったキサー・ゴータミーはその後に尼僧教団の幹部になりました。質素な衣をまとい、「粗衣(そい)第一」といわれています。四苦八苦のひとつに、【愛別離苦】といって愛する者と別れる苦しみがあります。家族・友人・恋人・ペット.....愛する者と別れるのは悲しく辛く苦しいですよね。私も若い頃には大好きな女性と別れた夜に、中島みゆきを聞きながら枕を泣き濡らしたものです😭。そして「もう二度、誰も好きにならない」と思っていましたが、それから多くの女性を好きになっては中島みゆきの歌と共に涙にむせぶ夜を過ごしてきたわけです。そして私もキサー・ゴータミーのように別離という現実に向き合い、彼女と別れても「もう恋なんてしないなんて言わないよ。絶対」という心境になりました😁。このように人は必ずいつかは愛する者と別離する時が来ます。だから大切なのは別れの時を考えるのではなく、いま目の前にいる愛するべき者と一緒にいる時間を楽しく有意義に過ごすことではないでしょうか?いま夫婦喧嘩の最中のソコの貴方、喧嘩なんかしていたら時間が勿体ないですよ。そしてソコの創価学会男子部の活動家さん、学会活動ばかり優先させていないで奥さんや子供との時間を大切にしないさよ。
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