創価ダメだしブログ

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弁惑観心抄(日應上人)要文⑦第2章32節より

もとより発迹顕本の本有無作の三身たる本仏宗祖にして、南無妙法蓮華経を所作とし給えばこそ人法体一し、本尊の中央に「南無妙法蓮華経 日蓮」と顕れ給うなり。しかして、この本尊出現の上は、無智の凡夫もただ信の一字にて仏乗を成じ、人法体一になることを得べきなり。

今回の御文は、本地難思・本有常在・事の一念三千の体とは、発迹顕本した御本仏としての日蓮大聖人の所作、即ち大聖人の色心二法であることを明かしています。日寛上人は『文底秘沈抄』で、「当流の意は事を事に顕す。是の故に法体是れ事なり」と御指南されています。日守や創価学会の様に南無妙法蓮華経の法を本尊に顕したという本尊義だと、法=理を本尊=事に顕すことになり、その本尊は理の一念三千の本尊になり末法の本尊としては不適切となります。要するに、南無妙法蓮華経の法(理)を曼荼羅という事に顕したから事の一念三千になるのではないという事です。事を事に顕すというのは、日応上人の御指南の如く、法(理)ではなく御本仏の所作(事)を曼荼羅本尊(事)に顕すのが「事の一念三千」なのです。その証拠として御本尊の中央に、「南無妙法蓮華経 日蓮」と示されているのです。この中央の主題は、南無妙法蓮華経の法と御本仏・日蓮大聖人の人が境智冥合さている姿なのです。故に大聖人の曼荼羅本尊は人法一箇の本尊であり、人法一箇であるが故に末法適時の事の一念三千の御本尊となるのです。そして人法一箇の事の一念三千の法体だからこそ、それを信じる末法の荒凡夫もまた南無妙法蓮華経と一体となって仏界を開くことが可能なのです。本尊が理の一念三千の法であれば、我等(人)が法と一体になる道理はありません。いつまで経っても理の成仏しかできません。また御本尊が単に法本尊でしかないなら、その本尊には仏力が備わらないことになります。日応上人はこの御文の次下で、もし久遠実成の釈尊が本仏で大聖人がその本仏の弟子だとするならば、御本尊中央の主題も本仏の弟子の題目となり、また発迹顕本した(御本仏の)大聖人の本尊でもなく、事の一念三千の本尊にもならないと御指南されています。本仏(久遠実成の釈尊)の本尊ではなくその弟子の本尊ならば、その本尊の功力は極わずかなものであり即身成仏はできないような本尊になってしまいます。このように人法体一を否定することは自分自身の成仏を否定することになるのです。いずれにせよ、日応上人のこの御指南にあるように御本尊とは大聖人の色心二法(所作)の当体であり、それを信受することが日蓮大聖人の仏法を信仰するということです。そして大聖人の御真筆と書写本尊の全ての根源となる本尊が本門戒壇の大御本尊なのです。この本門戒壇の大御本尊を信受しなければ、御真筆の本尊を受持していても無益です。戒壇の大御本尊を信受することが「信心の血脈」の根本なのです。

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