説く汝、日守、いまだ祖判を伺うの秘曲を知らず、語を換えてこれを言えば、一往・再往、付文・元意、文上・文底、教相・観心等の大格を知らざる闇者なり。すなわち法相・法理に闇昧なり。いわんや、当家秘伝の種脱の相対、十重顕観、四重の興廃、三重の口決、宗旨の三箇、宗教の五箇等、大事の相伝を知るべきの理なし。ああ、不相伝邪曲の至りと言うべし。
第1章19節は、日守が『本尊問答抄』の一文を挙げて大石寺教学を非難している事に対し、日応上人が反論し日守の我見を破折している内容です。日守の御書(祖判)の読みと解釈が間違っているのは、一往・再往、付文・元意、文上・文底、教相・観心という立て分知らないからで、御書はこうした立て分け、すなわち会通を加えて読まなれば正しい解釈ができません。そして正しい会通とは唯授一人血脈の相伝によってのみ可能なのです。『日興遺誡置文』の、「当門流に於ては御書を心肝に染め極理を師伝して若し間有らば台家を聞く可き事。」との御遺誡にあるように、御書を心肝に染めるためにはその極理を師伝された法主上人の御指南の元に学ばなければなりません。相伝に依らない御書解釈は我見・邪義に陥る可能性が非常に高く、大聖人仏法の悪利用に繋がります。その典型が池田創価学会です。戸田城聖会長と池田大作の教学の決定的な違いは、戸田会長は法主上人から直接教学を学んでいるけど、池田の教学の大半は法主上人ではなく戸田会長に学んでいるところです。確かに戸田会長の教学は法主上人直伝だが、ちょいちょい我見も入ってるし間違えている部分も多分にあります。そんな池田は戸田の真似をして御書を我見で読んでしまい、戸田の間違った部分を分からなかった。つまり池田教学は戸田の悪い部分だけを受け継いだ教学になってしまった。その結果、創価学会は宗門から破門になり、邪義邪教の教団に変貌してしまったのです。相伝に従わない勝手な解釈をして却って正当教学である大石寺教学を批判するのは日守も池田も同じ方程式です。僧侶のいない在家教団や寺院に行かず自分一人で正しい信心ができると思っている人の怖さがここにあります。やはり、正しい法門を学び正しい信心をして成仏する為には常に法主上人の御指南に学び、疑問があれば御住職に質問し、時には自分の信心が間違っていないか御住職にチェックしてもらうことが重要になります。当ブログでも御書の解説を始め教学についての記事を多く書いていますが、正宗に移籍してしばらくして所属寺院の御住職にブログの件を話しチェックしてもらい許可をもらって書いています。「問題があればご指摘ください」と伝えていて、いまでも時々御住職が見てくれている様ですが今のところ間違いを指摘されたことは一度もありません。個人のブログですが、創価学会員のブログとは違い自分勝手な己義を書いているわけではありません。ともあれ御書を会通できるようになるには歴代・御歴代の法主上人の講義・御指南を何度も繰り返し読み込んで、相伝教学を学んでいくことが重要です。
創価学会の退会方法(静かに創価を去るために) - 創価ダメだしブログ
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