創価ダメだしブログ

創価・顕正、その他異流義破折と日蓮大聖人の仏法を正しく伝えるブログです。日蓮正宗への勧誘サイトではありません。

御講拝読御書研鑽(2025年4月・上野殿御屁返事(竜門御書))

願くは我が弟子等大願ををこせ、去年去去年のやくびやうに死にし人人のかずにも入らず、又当時蒙古のせめにまぬかるべしともみへず、とにかくに死は一定なり、其の時のなげきはたうじのごとし、をなじくはかりにも法華経のゆへに命をすてよ、つゆを大海にあつらへちりを大地にうづむとをもへ

今月の御講拝読御書は『竜門御書』の一節です。御真筆が総本山・大石寺に現存していて、奇しくも先日の御虫払法会に参詣した折に目の前で御真筆を拝見してきてばかりの御書です。さて今回の御文は以前に「創価教学じゃない御書講義」で取り上げたので下にその記事をリンクしておきますが、前回の講義は創価学会員向けだったので今回は法華講員向けに研鑽します。当抄は冒頭で竜門の故事などを引用し凡夫が成仏することの難しさを述べた後に、当該御文において凡夫である自分が成仏するためには、大願ををこせとご指南されています。大願と何かというと、「大願とは法華弘通なり」(御義口伝)。と大聖人は明確・端的に言われています。大願とは、創価の説明する「広宣流布」というモヤモヤしたものではなく、顕正会の言う「国立戒壇建立」でもない。法華弘通即ち折伏・弘教が、大聖人の弟子が起こすべき大願なのです。そしてその大願を成就(折伏成就)をするためには、法華経のゆへに命をすてよと不惜身命の信心の実践を厳命されているのです。命をすてよとは命を粗末にするという意味ではありません。とにかくに死は一定なりといわれてますが、これは人は必ず死ぬということで裏を返せば今生の命には限りがあるということです。この限られた今生の時間(寿命)を「使う」ことが「命を捨てる」ということなのです。「命限り有り惜む可からず遂に願う可きは仏国也」(富木入道殿御返事)との御聖訓のまま、時間を惜しむことなく折伏をして、今生では自身の周辺を仏国土にし死後は仏国土に産まれることを願うべきであり、また時間を惜しまず自行化他の題目の修行をすれば必ずその願いは叶うのです。もちろん創価や顕正のように自分の時間をすべて犠牲にする必要はありません。プライベートを全て犠牲にしたら、いつどこで折伏をするんですか?プライベートな時間と空間以外に折伏弘教の場所はないのです。大切なのは法華弘通の大願を心に持っているかどうかです。その大願を抱いていれば、融通無碍に折伏はできるし、意識することなく不惜身命信心になるのです。自分の趣味や娯楽には躊躇せずに時間やお金を使うのに、信心に使う時間やお金は惜しくなる。ネット動画を何時間も視聴しているのに勤行は出来ない(笑)。そうした懈怠の心は誰しも多少はあると思います。そんな時には、『新池御書』の「無益の事には財宝をつくすにおしからず、仏法僧にすこしの供養をなすには是をものうく思ふ事これただごとにあらず、地獄の使のきをふものなり寸善尺魔と申すは是なり」の一節を思い出し、「いかんいかん、これは寸善尺魔だ」と自分に言い聞かせています。私達法華講員は毎朝の勤行で「祈念し奉る一天四海本因妙広宣流布、大願成就御祈祷の御為に。」と観念していますがどこまで本気で法華弘通の大願成就を祈祷するかによって、自分の願いに対する結果が変わってくるのではないでしょうか。今月の御文を拝読して、あらためて御本尊に対し折伏成就の大願を誓わせていただきました。

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