創価ダメだしブログ

創価・顕正、その他異流義破折と日蓮大聖人の仏法を正しく伝えるブログです。日蓮正宗への勧誘サイトではありません。

創価教学じゃない御書講義(2025年11月座談会御書・桟敷女房御返事)

たとえば、はるの野の千里ばかりにくさのみちて候わんに、すこしきの豆ばかりの火をくさひとつにはなちたれば、一時に無量無辺の火となる。このかたびらも、またかくのごとし。一つのかたびらなれども、法華経の一切の文字の仏にたてまつるべし。 この功徳は、父母・祖父母、乃至無辺の衆生にもおよぼしてん

今月の座談会御書は『桟敷女房御返事』からの御文です。本抄は、建治3年五5月25日に鎌倉のさじき女房より帷(かたびら)が御供養されたことに対する御消息です。さじき女房とは、日昭の兄、印東次郎左衛門尉祐信の妻で、印東祐信の父を祐照、その妻の妙一尼をさじきの尼、嫁をさじき女房と称したと言われています。本抄は大きく二段に分かれていて、前半は女性の特性について述べられ、後半は御供養に対する御指南で、当該御文は後半の部分に当たります。御消息文で読めば分かるので特に講義するまでもありませんが、財務の季節なので「供養」に関する御文を座談会で取り上げて1円でも多く財務をふんだくろうという魂胆があからさま過ぎですね。創価学会の財務は強制ではないですが、こうやって陰に陽に財務を推奨しているのが創価です。創価新報などで法華講員が「供養地獄」で苦しんでいるようなデマを流していますけど、実際は収奪地獄に信徒を嵌めているのは創価であって正宗では供養を強要したりすることなどないし御供養の話は話題にものぼりません。いい機会なので創価学会員には「御供養の意味」の一端を講義してあげます。創価学会員なかに日蓮正宗に対して「今までの供養を返せ」という人がいるけど、御供養は僧侶や寺院にするのではなく、御本仏日蓮大聖人=戒壇大御本尊に対してするのです。当該御文でも法華経の一切の文字の仏にたてまつるべし」言われているように人ではなく仏に対して御供養をするのです。第59世・日亨上人が、「又弟子檀那の中にも御本仏に供養すと思はずして・其所縁の僧侶に呈するとの意より所施者の身分の高下及び場合に依り供物を軽忽にして・動もすれば鄭重の式を備へず乞食にでも呉れる様の不敬を為す」(化義抄註解)と御指南されてるように、「御本仏」に対して御供養するという心が御供養の本義です。「供養を返せ」というのは、この御供養の本義を知らず、お寺や僧侶に金銭を差し出してと勘違いしているからです。また創価財務が大聖人への御供養に通じるというのも、勝手に「通じる」と思っているだけで、化儀抄に「三世の諸仏高祖開山も当住持の所にもぬけられたる所なるが故に、事に仏法の志を高祖開山日目上人の受け給う姿なり。」とあるように、大聖人仏法は「事」の一念三千ですから、実際に法主上人や御住職に取り次いで頂いて初めて御本尊への本当の御供養になるのです。また創価は「財務は大善」と正宗では全く聞かない指導をしているけど、前述の通り御本仏に御供養するから功徳(善)になるのであって、御本仏に供養しない創価の財務が大善になる道理はありません。従って財務は創価の活動費であって御供養はなく単なる会費です。法華講も活動費として任意で講費を集めていますが、講費に功徳あるなんて誰も思ってないし言っていません。創価の財務は講費と同じで、ただの活動・運営費なので功徳は一切ありません。財務の功徳体験を語る学会員もいますが、仏法の道理に合わない現証は魔の通力です。そもそも功徳をアテにして供養するのも御供養したり、御供養の功徳を他人に自慢(報告)するのも御供養に反します。こんな間違いだけらけでインチキな財務は今年こそやめましょう。

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