創価ダメだしブログ

創価・顕正、その他異流義破折と日蓮大聖人の仏法を正しく伝えるブログです。日蓮正宗への勧誘サイトではありません。

創価教学じゃない御書講義(28年11月度座談会御書・上野殿御返事)

願くは我が弟子等大願ををこせ、去年去去年のやくびやうに死にし人人のかずにも入らず、

又当時蒙古のせめにまぬかるべしともみへず、とにかくに死は一定なり、其の時のなげきはたうじのごとし、

をなじくはかりにも法華経のゆへに命をすてよ、

つゆを大海にあつらへちりを大地にうづむとをもへ、

法華経の第三に云く「願くは此の功徳を以て普く一切に及ぼし我等と衆生と皆共に仏道を成ぜん」云云

@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@

今月は、上野殿御返事。別名、竜門御書だね。

この時期は、財務のあるので、お得意の「白米一俵御書」かとおもいきや

さすがに、毎年財務の度に「白米一俵御書」ってわけにもいかないか(笑)

まぁ、この御書でも十分「財務」の話へ持っていけるが

教学のない、今の活動家・幹部だと無理かな?

大作センセの弟子ならば、11月の座談会は

どんな御書でも、「財務」につなげるような講義ができないとダメだよ(笑い)

さて、今回の御書は、冒頭にいわゆる「登竜門」のお話があるので

「竜門御書」というんだけどね。

中国にある竜門という滝を登った鯉(本文では鮒となってるけど、これは鯉のことね)は

竜になれるんだけど、その道が険しい。

ってことでよく巷でいう「登竜門」ってわけだね。

最初に【願くは我が弟子等大願ををこせ】の文だけど、

この文は【法華経のゆへに命をすてよ】にかかっている。

つまり【法華経にために命をすてる】という【大願を起こしなさい】ってことだね。

法華経のために命を捨てる】というのは

なにも本当に自分の命を捨てる。

ということじゃなく供養するって意味だが

この供養には「事供養」と「理供養」があって

実際に、肘を焼いたり、皮を剥いだりってのは事供養で

これは、聖人・賢人のする供養で、

我々凡夫にはできないし、するものでもない。

我々、凡夫をそんな事供養の代わりに理供養を・・・

おっといけね。これじゃ「白米一俵御書」の講義になっちまう(笑)

話を戻して、この御書でいうところの【法華経のゆへに命をすてよ】とは

冒頭の登竜門のことや、

舎利弗(身子)が退転した事(乞眼の婆羅門だね)が書いてあるので

その流れで言うと

法華経への信心をやめない】ということ。

つまり何があっても【法華経への信心貫く】ということになる。

で、【法華経】とは何かというと

言うまでもないが一応確認しておくが、

大作センセでもなければ創価学会仏でもないよ。

法体としての「南無妙法蓮華経

法体としての「南無妙法蓮華経」とは、

日蓮大聖人(ご本仏)の色心二法であり、

何度もしつこく書くが、

具体的には「一大秘法の戒壇大御本尊」のことだからね。

その戒壇大御本尊に対する信心をやめないこと。

それが【【法華経のゆへに命をすてよ】という大聖人のお言葉であり

【我が弟子等大願ををこせ】と言われている大聖人の真意だよ。

この大願は、師匠でありご本仏である大聖人と同じ大願であり

師弟不二・生仏一如の大願であることは、大聖人ご自身もまた

◆今度強盛の菩提心ををこして退転せじと願しぬ。(開目抄上)

と言われてる通りだ。

というわけで、大御本尊を受持の対象から除外し

さらには、ご本仏を差し置き自らを「創価学会仏」と自称している

創価上層部及び幹部・活動家のみなさんは、

登竜門どころか、泳いでいる「川」からして違う。

なのでいくら活動し題目を上げたところで

竜門の下にすら来ることができないので

竜(成仏)になることは、千中無一である。

まぁ、大作センセとの誓いを果たし

創価学会仏にために命を捨て、

大作センセと無間地獄にいくのは大いに結構だが

信心や教学の浅い会員さんを誑かすのは止めて欲しいもんだよ。

また、創価学会仏じゃなくご本仏との大願を果たしたいと思うならば

今すぐ、謗法である学会活動をやめ

大御本尊に信を置いた本門題目を上げるようにおすすめするね。

◆我が門家は夜は眠りを断ち昼は暇を止めて之を案ぜよ一生空しく過して万歳悔ゆること勿れ(富木殿御書)

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 創価学会へ