先日会社の車のタイヤを
何気なくみたらヤマがほとんどなかった。
こんなタイヤでビュンビュン高速道路とか走ってたと思うとゾッとした。
早速、新しいタイヤと交換した。
知らないときは全然平気だけど、気づいちゃうと急に怖くなる
そんなことって結構多いよね。
自分では今まで通り運転しているのだけど、
乗ってる車の方がいつも何やら知らないうちに故障している。
創価の謗法に気づいちゃった
学会んさんもそんな気分になると思う。
実際に親交ある会員さんの中には
「罰が出るのでは?」と心配している人も数人いる。
その人たちは、自分では気づいたけど家族が気づいていないので
それで「罰がでるのでは?」と心配になるらしい。
大御本尊を受持しない。これは明らかに謗法であるから
罰が出るか出ないかで言えば、「罰は出る」
それが大聖人の教えだ。
でも、家族で一人その謗法に気づけばそんな心配は無用だ。
気づいた一人が大御本尊に対する信心を貫けば
本人のみならず、その一族も守られていく。それも大聖人仏法である。
日寛上人は観心本尊抄文段で、
◇故に暫くもこの本尊を信じて 南無妙法蓮華経と唱うれば、則ち祈りとして叶わざるなく、罪として滅せざるなく、福 として来らざるなく、理として顕れざるなきなり。
とご指南されている。
本門本尊に本門題目を唱えれば、滅しない罪はないのである。
そして、日寛上人が「この本尊」と言われている本尊とは
同じ観心本尊抄文段に
◇本門戒壇の本尊は応にこれ総体の本尊なるべし。これ則ち一閻浮提の一切衆生の本尊なるが故なり。自余の本尊は応にこれ別体の本尊なるべし。これ則ち面々各々の本尊なるが故なり。
と言われているように、一大秘法の本門戒壇の大御本尊に他ならない。
つまり、本門戒壇大御本尊を信受し題目を唱えれば、
滅しない罪はなく、叶わない祈りもない。
ゆえに謗法に気づかない創価の家族がいても
「罰が出ること」などないので安心して欲しい。
罰どころか、やがて家族も創価の謗法から救うこともできる。
といっても、すぐにはなかなか難しいとも思う。
なにせ気づかない人々は
自分は変わらず安全運転(純粋な信心)をしているつもりだろうし
事実、安全運転(純粋な信心)をしていると思う。
でも、乗っている車(創価学会)が
自分で知らないうちに、誰かに細工され
いつの間にか欠陥だらけの危険車両になっているのだ。
これに気づくのはなかなか困難で
事故を起こせば気づくのだろうが、
できれば事故る前に気づいて欲しいと願っているのだが
なにせ長年乗っている愛車なので、
他人に「危ないですよ」といわれても、なかなか聞く耳持たない。
それでも、焦らず祈っていけばいづれは分かってくれる日がくる。
俺の周りもそんな危険車両を安全運転で(時々暴走している奴もいるが)乗り回している人が多い。
気づいた側としては、なんとか「事故る前に気づいて欲しい」と祈るばかりだ。
気づくまでは、気づいた側の祈りで守っていくしかないからね。
ともあれ、気づいっちゃった学会員さん、
「罰など出ない」ので安心して
大御本尊を信受し題目を唱えましょうね。