創価ダメだしブログ

創価・顕正、その他異流義破折と日蓮大聖人の仏法を正しく伝えるブログです。日蓮正宗への勧誘サイトではありません。

御本尊のこと(ユリ子さんへのリコメの意味も込めて)

ここ数日コメントをくれたユリ子さんへのリコメの意味も含めて記事を書く。

ユリ子さんに現在の学会の本尊義を知ってほしいとの趣旨のコメントに対し

早速、彼女は2年前の会則変更についての

聖教新聞(多分)を読んでくれたようで、以下のようなコメントをくれた。

> 会則変更についてが掲載されていますが、ここで「大聖人御図顕の御本尊は全て本門の本尊」とされています。

> 「弘安2年の御本尊について『聖人御難事に弘安2年の御本尊には一言も触れられていない』」です。

> さて、こうなると身延派の御本尊でも良いことになりますが、それについて質問したところ『身延派は教義が違う』です。

まづは、再び創価の教義変更の内容に目を通してくれて感謝している。

ユリ子さんに限らず今の創価の活動家さんのほとんどが

2年前の「本尊義」の変更について

詳しく知っていないし、知ろうとしていない。

母の家であった、婦人部二人も

未だ活動家・幹部をしている内部の友人も

ほとんど学会の今の本尊義について何も知らない。

むしろ、よく知っているのは、アンチ創価側で

肝心な会員、しかも幹部・活動家といわれている会員が

自会の主張している「本尊義」を知らない。というのはどうかと思う。

それは「知らない会員さん」が悪いわけではなく

「知らせない」上層幹部が悪い。

当時も書いたが、「本尊義」という宗教団体であれば肝心要の重要事項を

聖教新聞の3、4面に2回ほど書いただけで

その後は、各種会合で取り上げるわけでもなく

いやむしろ、その話題をするのはタブーかの如く

その話題を避けてやり過ごしている

創価上層幹部の最近の欺瞞の数々には本当に腹が立つ。

これを宗教詐欺といわずになんと呼べばいいのかわからない。

上層幹部がそのような調子(作戦)だから

ユリ子さんを始めとする多くの活動家・会員さんが

自分の所属する団体の「本尊義」も知らないまま2年も過ごしているのだ。

とはいえ、幹部が100%悪いというわけにもいかない。

いくら組織内で話題にならないからといって

自会の「本尊義」にあまりにも無頓着であるのは

それは一人の信仰者として少し情けないのではないかと思う。

いうまでもなく、大聖人仏法の法義の根本は「本尊」である。

大聖人仏法とは一言で言えば「本尊」につきる。

学会員だっていつも「御本尊根本」というだろう。

「御本尊根本」といいつつ、自会の「本尊義」の変更に興味を示さず

自会の「本尊義」が如何なるものかも知らない。では話にならない。

自分でもよくわからない「本尊」に功徳がある。

なんて他人にいうのは無責任だと思う。

本尊義変更から2年。

そろそろ、目を背けずきちんと今の創価の本尊義を確認したらどうか?

本来は各組織でやるべきことだが

組織は「寝た子を起こす」マネはしないだろうから

幹部・活動家会員さんは自分で精査するべきだと思う。

それが自立した信仰者として態度だと思う。

そうした意味において、ユリ子さんが今回

創価の教義変更について読み直してくれたのは非常に嬉しい。

その内容の是非はともかく、

「本尊」について思索するという行為が今の創価活動家さんは大切なことだと思う。

さて、ここで以前書いたものと同じではあるが

ユリ子さんの短いコメントに少しリコメさせてもらう。

> 会則変更についてが掲載されていますが、ここで「大聖人御図顕の御本尊は全て本門の本尊」とされています。

大聖人ご図顕の本尊が全て「本門本尊」ならば、大御本尊もまた「本門本尊である」と学会は定義したことになる。

その大石寺ある「本門本尊」 を信じないのであれば謗法となる。大聖人の御書に「本門本尊でも信受しない本尊が存在する」なと書かれている御書はない。ゆえに「全て同じ本門本尊」ならば受持の対象にしないのは不信であり謗法といことになる。

> 「弘安2年の御本尊について『聖人御難事に弘安2年の御本尊には一言も触れられていない』」です

聖人御難事に書かれてなければ受持の対象としない。というのであれば

なぜ弘安二年の大御本尊も「本門本尊」と定義するのことができるのか?

御書には、創価本部の本尊のことも、日寛上人の学会の本尊のことも書かれていない。

それを受持の対象としているのはどうしてか?

そもそも創価に大聖人ご図顕の本尊は一体もない。すべて弘安二年の大御本尊を書写である。

実際の大聖人ご図顕の大御本尊を受持しないで書写の本尊だけ受持するその理由はなにか?

このような疑問を持つのが普通の感覚ではないか。と思う。

> さて、こうなると身延派の御本尊でも良いことになりますが、それについて質問したところ『身延派は教義が違う』です。

コレはおそらくユリ子さんの質問に誰か幹部が回答したと思われるが

この回答をした幹部の顔を見てみたい(そして嘲笑したい)

こんなヴァカな回答をする人間が幹部だから「創価にダメ出し」したくなるのだ。

「本門本尊」が教義によって「本門本尊」でなくなるなら

それは「本門本尊」と定義できる本尊ではないだろう。

そもそも、この人(ユリ子さんに答えた人)は「身延の教義」を知っているのか?

身延を邪宗という理由がわかっているのだろうか?

なぜ、日興上人と五老僧が違うのかわかっているのか?

身延が邪宗・謗法たる理由は

身延がご本仏である大聖人を否定している。ということと

唯授一人の血脈を否定しているからにほかならない。

逆言えば、日興門下が五老僧門下の身延と決定的に違うのは、

戒壇大御本尊(ご本仏日蓮大聖人)と唯授一人血脈が存在するが故である。

で、翻って今の創価はどうか?

大御本尊をご本仏大聖人と見ることができず受持の対象から外したばかりか

今度は「創価学会仏」なる架空の仏を会則の全文に記述する始末だ。

唯授一人血脈はとうに否定しまくっている。

(なのに大石寺法主書写の本尊を拝んでいる)

根本では「身延と全く同じ教義」なのが今の学会の教義であり

完全に「身延と同じ」になってしまったのが

件の2年前の「本尊義」変更だ。

その人の言い分であるならば

創価も大聖人仏法とは教義が違うのであるから

創価の本尊こそ受持の対象にならない本尊になるだろう。

よくまぁ、イタイケな女子部の地区リーダーさんの質問に

こんな「そんざい」な回答をするもんだ。

分からなきゃわからないっていうならまだしも、

こんなデタラメを教えるとはポカ~ンである。

これが創価教学の限界であり

これが創価幹部の限界なのだろう。

まぁ、それでユリ子さんが、心から納得したのならそれでいいのかもしれないが

それにしても、も少しマシなことを言えないもんかね。

最後にユリ子さん。

私はユリ子さんを始めとする創価活動家に

創価をやめろ」とはいいません。(そんなこと言っても無駄ですから)

だた、創価活動かさんたちには、自分で学んで自分で選んで欲しいと思ってます。

「学んでますよ」という学会員さんは大勢します。

でも、今回の本尊義に対しても全くの無知

(バカという意味ではなく知らないという意味です)の方が多いのです。

ホントに学んでいるならば、少なくても自分達(学会側)の本尊義くらい説明できるはずです。

また、何か言われてもキチンと反論できるはずなんです。

(文理のない現証論ばかりでなく)

自分達の本尊も説明できないで、

どうやって広宣流布するのですか?

それで広宣流布の団体を自称するとは、「どんだけ」なんですか?

と言いたいのです。

創価教学など意味がない。と書いたのはこういうことです。

自分達の本尊も説明できずに、何の「教学」でしょう。

そう思うのです。

活動もいいですが、教学にも是非興味をもってください。

また、気が向いたらいつでもコメントください。

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