創価ダメだしブログ

創価・顕正、その他異流義破折と日蓮大聖人の仏法を正しく伝えるブログです。日蓮正宗への勧誘サイトではありません。

創価教学じゃない御書講義(2021年1月座談会御書・四条金吾殿御返事)

此の法華経の一字の功徳は釈迦多宝十方の諸仏の御功徳を一字におさめ給う、たとへば如意宝珠の如し一珠も百珠も同じき事なり一珠も無量の宝を雨す百珠も又無尽の宝あり

2021年の最初の座談会御書は「四条金吾殿御返事」の中の別名「梵音声書」の一節です。今回のポイントはやはり「如意宝珠」ですかね。「思いのままに宝をさせる珠」のことを如意宝珠といいますが「宝珠」(宝の珠)とは、

◆妙法の五字の中には一念三千の宝珠あり五字を蔵と定む(御講聞書)

妙法蓮華経の五字の蔵の中より一念三千の如意宝珠を取り出して(兄弟抄)

等とあるように「妙法五字の一念三千」のことで、この「妙法五字の一念三千」とは、

◆宝とは妙法の用なり珠とは妙法の体なり、妙の故に心法なり法の故に色法なり色法は珠なり心法は宝なり妙法とは色心不二なり(御義口伝巻上)

とあるように「色心」の二法のことです。さて日寛上人は妙法五字について、「観心本尊抄文段」で

◇問う、妙法五字のその体何物ぞや。謂く、一念三千の本尊これなり。一念三千の本尊、その体何物ぞや。謂く、蓮祖聖人これなり。

と妙法五字=御本尊=日蓮大聖人とご指南され同じ文段の中で弘安二年の戒壇大御本尊を総体の御本尊であると判じています。すなわち「宝珠」というのは凡夫の色心二法ではなくご本仏・日蓮大聖人の色心二法である「本門戒壇御本尊」であるという事です。そして「如意」というのはこの大御本尊を信じて唱えるところの「本門の題目」です。ですから「如意宝珠」あるころは即ち「本門の戒壇」です。「如意宝珠」とは実に一大秘法の大御本尊を中心とした三大秘法のことです。先日阿保な創価民が創価学会や池田指導が如意宝珠などという噴飯モノな発言をしていましたが、本当に創価民のデタラメ・インチキ己義で御書を汚すのはやめてもらいたいものです。さて、この如意宝珠を保ち続けるためには用心しないといけないことを日寛上人が教えてくれています。

◇信者、当に知るべし既に妙法の宝珠を持たもつ故に内外に就ついて用心あり。一には謂わく、焼亡。二には謂わく、盗賊なり。所謂焼亡とは、即ち是れ不信謗法の火、妙法の無量の功徳を焼失する故なり。道乗が瞋恚の火すら尚読誦の功徳を焼く。況んや謗法の炎をや。所謂盗賊とは、即ち是れ悪鬼・魔王の障礙なり。例せば隠士・烈士の如し云云(法華題目抄文段)

謗法不信に悪鬼等の障礙です。このうち「悪鬼」とは創価幹部や創価活動家であり「魔王」とは池田センセですね。これらの悪鬼・魔王に誑かされて多くの創価民は如意宝珠たる「戒壇大御本尊」への謗法不信を繰り返しているわけですから。創価の「正宗からパクった」「カラコピ掛け軸創価本尊」は如意宝珠でもなんでもありません。ただの紙切れです。そんなものに題目をあげたらむしろ悪鬼・鬼神が集まってきて彼らの棲家になってしまいますね。なので「創価本尊」に題目があげないことが大切になります。悪鬼の向かって南無妙法蓮華経と呟いてみたところで無尽の罪業を積むだけだということを一般学会員さんにはわかってほしいものです。そのうえで如意宝珠を手にしたいなら戒壇大御本尊への信を取り戻すことです。おさらいしますよ。「如意宝珠」とは宇宙の法則でも自分の心の中の仏界でもなくて「ご本仏・日蓮大聖人の色心二法である戒壇大御本尊」です。その大御本尊を捨てた創価民は「如意宝珠」など持っていないのです。分かりましたか?では今日から早速、創価本尊へ向かうのをやめましょうね。


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