創価ダメだしブログ

創価・顕正、その他異流義破折と日蓮大聖人の仏法を正しく伝えるブログです。日蓮正宗への勧誘サイトではありません。

創価教学じゃない御書講義(2025年12月座談会御書・四条金吾殿御返事)

一生はゆめの上、明日をごせず。いかなる乞食にはなるとも、法華経にきずをつけ給うべからず。されば、同じくはなげきたるけしきなくて、この状にかきたるがごとく、すこしもへつらわず振る舞い仰せあるべし。中々へつらうならば、あしかりなん。

今年最後の座談会御書は、私が初信の頃に何度も読んだ一節で思い出深い御文の別名『不可惜所領の事』と呼ばれる、『四条金吾殿御返事』です。当抄の背景は、建治3年6月9日に大聖人様の弟子の三位房日行と天台僧の竜象房が鎌倉桑ヶ谷で問答を行い、三位房が竜象房を打ち負かしたことを逆恨みした良観・竜象房側が、このとき三位房に同行して問答を見守っていた四条金吾に対して、「徒党を組み武装して乱入し、暴力で法座を乱した」などの無実の言いがかりを四条金吾の主君である江馬氏に申し立て、これを真に受けた江馬氏は四条金吾法華経の信仰を捨てる起請文を書くように命じてきました。金吾は経緯を大聖人に御報告し指導を仰ぐと共に、「所領を没収されようとも、法華経の信仰を捨てるような起請文は書きません」との決意を申し上げました。報告を受けられた大聖人は江馬氏の誤解を解くため陳状をしたためられました。これが『頼基陳状』です。本抄は『頼基陳状』に添えられた御手紙で、どのような状況になっても信心を捨てないと誓う金吾の信心を称賛され、また陳状の提出の時期や今後の信仰を持続する上での心構えや態度などを、懇切丁寧に御指導をされています。当御文のポイントは、「法華経に傷を付けるとは、どのような事なのか」ということです。「傷を付ける」というのは他者のに傷つけられるこではありません。折伏をして相手から悪口罵詈されても法華経に傷はつきません。自分で「傷を付ける」のです。具体的には「法華経=妙法を捨てる」事が、「法華経を傷つける」ことです。どんなに不遇であっても、苦境に晒されても御本尊を棄てない。不信を抱かず信心を貫くことが法華経を傷つけないという事です。然るに現在の創価学会員は、2014年に大聖人の色心二法・一大秘法たる本門戒壇の大御本尊を棄てた。仮に創価学会員が戒壇大御本尊を棄てていないと抗弁したとしても、久遠元初の仏宝日蓮大聖人・僧宝日興上人すらも棄てた教義を打ち立てた事は、三宝は一体であるから仏宝・僧宝を棄てるのは御本尊を棄てることになる。このように池田創及び創価学会員は大聖人の仏法を傷つけまくって現在に至っているのです。まさに相似の出仏身血の五逆罪であり大謗法なのです。日寛上人は「かならずかならず身の貧しきをなげくべからず、ただ信心の貧しき事をなげくべけれ」松任次兵衛殿御報)と御指南されています。創価学会員は裕福な暮らしをしているかもしれないが、「信心は貧しい」のです。己の信心の貧しさに気が付かないで暮らしいている。信心が貧しければからなず身も貧しくなる。逆に法華講員は今は身は貧しいかもしれなけど、信心が貧しくなければかならず身も裕福になる。これを疑い不信を抱けば法華経を傷つけたことになって貧しいままです。人間は一秒先の事すら分かりません。しかし、心地観経に「過去の因を知らんと欲せば其の現在の果を見よ未来の果を知らんと欲せば其の現在の因を見よ」とあるように現在の因を知れば未来も果も予想することができます。創価学会員の諸君は本当に自分が法華経(下種三宝)を傷つけていないと胸を張っていえますか?法華講と法論をして勝てる自信がありますか?自分の未来の果を想像し、いまこそ正法たる戒壇大御本尊への信心の因を積むべきでしょう。

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