新年早々いつものように『顕正新聞』が届いたので暇に任せてざっと読んだ。今回は創価学会に対する批判が多い紙面にだった。例の『創価学会教学要綱』は顕正会にも小馬鹿にされているようで元創価広宣部としては「創価もいよいよ顕正会にすら破折されるほどに落ちぶれたか」となんともいいようのないため息がでる。浅井城衛に言わせると創価衰退の根本原因は創価が戒壇大御本尊を棄てるという【極限の大謗法】を犯したからだそうだ。もちろん城衛の意見に異論はなく同意するが、そういう顕正会だって戒壇大御本尊を悪利用しているのだからそうかと同じ穴の貉だ。口では「戒壇大御本尊様に対する渇仰恋慕」などといっているが、大石寺を魔の山いい遥拝勤行などで会員を誑かし、むしろ戒壇大御本尊から会員を遠ざけ渇仰恋慕の心を奪っている。毎年、会員から集金し金銭も浅井顕正会からはただの1円たりとも戒壇大御本尊への供養はない。会員が戒壇大御本尊の為に思って供養した金銭その他は何一つ戒壇大御本尊に届いていないというのが事実なのである。大聖人は『土籠御書』で、「法華経を余人のよみ候は、口ばかりことばばかりはよめども心はよまず、心はよめども身によまず、色心二法共にあそばされたるこそ貴く候へ」といわれいる。昭衛や城衛、そして顕正会幹部が戒壇大御本尊に対して渇仰恋慕の言葉をいくら並べた見たところで実際には何一つ行動として表していないのだから、そんなもの口先だけで御託を並べて会員を謀っているにすぎない。また顕正会員の方もそんな浅井一家に騙されて遥拝勤行で直接戒壇大御本尊を拝しているとか渇仰恋慕の想いで勤行唱題しているなどとこれまた「口先」だけで言っている。自宅の本尊も仏壇もなく御本尊への香華灯明の御給仕もしない顕正会員が渇仰恋慕とは寝言は寝て言え。古の歌にも「法華経を 我が得しことは 薪こり 菜つみ水くみ つかへてぞ得し」(行基)とあるように仏教においては実際に身をもって仏様に仕えることが一番大切な修行であり、それなくて成仏はあり得ない。渇仰恋慕と口先だけで言っているのは戒壇大御本尊を誑かしている大謗法であることを自覚して、まずは謗法の山だと思っていたとしても大石寺に登山すべきである。日妙聖人や四条金吾は謗法の地である佐渡に渡り大聖人に会いに行った。これが本当に純真な渇仰恋慕の信心の姿である。いつまでも浅井に騙され自分を騙してインチキ信心をしててはいけない。本当に戒壇大御本尊を求めているなら訪ねる場所は顕正会の会館ではなく、戒壇大御本尊がいらっしゃる総本山・富士大石寺である。
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