とてもかくても法華経を強いて説き聞かすべし。信ぜん人は仏になるべし。謗ぜん者は毒鼓の縁となって仏になるべきなり。いかにとしても、仏の種は法華経より外になきなり。
久しぶりの創価座談御書の講義です。今回の御文は、法華講員は年に何度も聞く御文なので、当ブログを開設してから創価座談会御書で過去に取り上げられていなかったのは意外です。もっとも化他行は折伏一本の法華講と違って、創価は選挙や新聞啓蒙の片手間で折伏しているような教団だし、そもそも現役の創価学会員は折伏なんかしたこともないか、何十年も前にやっただけという会員が多いから、今回の御文のような折伏についての御書はあまり学ぶ必要がないのかもしれません。さて毒鼓の縁というと創価活動家時代の部員さんが毎日飼い犬の散歩をしていて仲良くなった「犬友」の人を折伏して、「これが本当のドッグの縁だな」という思い出もありますが、これは涅槃経に書かれている、「毒薬を塗った太鼓をたたくと、その音を聞こうとしない者の耳にも届き、やがて聞いた者は皆死んでしまう。」と言う話です。(「たとえば人ありて、雑毒薬を以ってこれを用いて太鼓に塗り、大衆の中において、之を撃ちて声を発(いだ)さしむるが如し。心に聞かんと欲すること無しといえども、之を聞けば皆死す。唯一人不横死の者を除く。是の大乗大般涅槃経もまたまた是の如し。在々処々の諸行の衆中、声を聞く者あれば、あらゆる貪欲・瞋恚・愚癡を悉く滅尽する」)つまり、信心に反対したり誹謗する人達にも強いて妙法を聞かせることによって、そうした逆縁の人達も未来には成仏することが出来るようになるのだから、聞法下種の折伏をしていく事が大切だという事です。本抄の題号の「法華初信」の者とは、過去に下種を受けていない初めて妙法を聞く末法の衆生の事をいいます。もちろん妙法というのは、日蓮大聖人の三大秘法であり、究竟すれば一大秘法の本門戒壇の大御本尊のことです。折伏では相手に色々な話をすると思いますが、それらの話が最終的に本門戒壇の大御本尊に帰結するのが折伏であり聞法下種です。創価幹部時代に部員さん対して、「選挙も新聞啓蒙も折伏に繋げなれば信心ではない。」「いくら池田先生や創価学会の素晴らしさを語っても最終的に大聖人の仏法を語らなければ下種にならない。」といつも言ってました。一大秘法の戒壇大御本尊(日蓮大聖人)の話をして、戒壇大御本尊への信心を薦めなければ折伏にはならないのです。ましてや「学会宣言」なんて全くどうでもいい話なのですが、なぜか創価では「学会宣言」をしただけで折伏と同じ。などという適当な指導がまかり通っていました。現在の創価学会は戒壇大御本尊様をとっくに捨て、しかも新教義では御本仏・日蓮大聖人を釈尊の下座に置き釈尊の弟子と下しているのですから、創価学会員が今回の御文を学んでも何の意味もありません。嫌がる相手に創価・公明・池田の話をするのは、ただの「嫌がらせ」でしかありません。創価活動は、自分も相手も苦しいだけの「毒苦の縁」です。御本仏・日蓮大聖人を捨ててしまった創価学会は単なるカルト教団。毎月御書を学んでいるくせに、創価新教学に疑問も持たず、なかには擁護する会員もいる。それこそが、創価学会が会員をMCしているカルト教団の動かぬ証拠なのです。カルトはカルトらしく、日蓮大聖人の御書を悪利用しないで、創価の本仏である釈迦如来や池田大作先生のことだけを学んでいるのがお似合いです。
創価学会の退会方法(静かに創価を去るために) - 創価ダメだしブログ
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