創価ダメだしブログ

創価・顕正、その他異流義破折と日蓮大聖人の仏法を正しく伝えるブログです。日蓮正宗への勧誘サイトではありません。

創価教学じゃない御書講義(2019年5月度座談会御書・種種御振舞御書)

此の文の心は日蓮によりて日本国の有無はあるべし、譬へば宅に柱なければたもたず人に魂なければ死人なり、日蓮は日本の人の魂なり平左衛門既に日本の柱をたをしぬ、只今世乱れてそれともなくゆめの如くに妄語出来して此の御一門どしうちして後には他国よりせめらるべし、例せば立正安国論に委しきが如し

平成も終わり「令和」の新時代になりましたね。元号が変わったからどうということでもないけれどなんとなく少し新しい気分になってます。「令和」1発目の記事は創価教学じゃない御書講義です。今月の座談会御書は「種種御振舞御書」の上記の御文。「令和」になっても同じ御文ばかり繰り返しているな。たまには今まで取り上げていない御文にすればいいんじゃないかと思うが面倒くさいのだろうね。どうせ座談会御書講義なんて「大白蓮華」読むだけだからね。で、梵我一如さんが紹介してくれた創価ブログ「なんちゃらの森」の管理人さんの解説では、「日蓮によりて」というカ所を「創価学会によりて」「自分によりて」「公明党によりて」と読み替えると分かりやすいそうな。(嘲笑)これぞ「創価教学」の真骨頂。見事なまでの頭破作七分ぶり。創価の御書講義って大聖人様をdisるのが目的なんじゃないかと最近では思い始めてきたよ。よくぞここまで御書を小バカにした解説ができるもんだな。さて今回の範囲の冒頭の此の文とは開目抄のことを指しています。開目抄とは人本尊開眼の書で、

日蓮は日本国の諸人にしうし父母なり(開目抄下)

と大聖人御自身が主師親三徳具備の末法のご本仏であることを宣言されているのが開目抄ですね。「主師親三徳具備の人」を仏とする理由は今回は置いておくけど、日蓮によりて日本国の有無はあるべしというのは「末法のご本仏によって日本国は守られている」という意味だ。ところが創価ネットなどの解説では、あえて大聖人が末法のご本仏であるという解説をせずに、「法華経の行者」「指導者」という言い方している。なるほどその解釈ならば、「日蓮」を「創価」や「大作」や「自分」と置き換えても辻褄があう。そんな魂胆がミエミエだ。しかしこの御文の最後に、例せば立正安国論に委しきが如しと記されているのに注目しよう。立正安国論の書かれている災難の由来はいうまでもなく、神天上法門でありその根本は「背正帰邪」である。「人本尊」である大聖人を捨てることがそのまま「正法」を捨てるという事になる。つまり大聖人は人法一箇の存在であるということだ。「人」に即していえば大聖人が正法を保持しているとうことなる。それ故にご本仏なのである。「法華経の行者」というのはあくまでも外用のお姿であり本地はご本仏であるという事がこの御文からも容易に理解することが出来る。故に日本国の有無・日本の人の魂・日本の柱は、ご本仏・日蓮大聖人お一人を指すのである。大聖人以外に法体を所持している者はいないからだ。また

日蓮天上天下の一切衆生の主君なり父母なり師匠なり、今久遠下種の寿量品に云く「今此三界皆是我有[主君の義なり]其中衆生悉是吾子[父母の義なり]而今此処多諸患難[国土草木]唯我一人能為救護[師匠の義なり]」と云えり、三世常恒に日蓮は今此三界の主なり(産湯相承事)

とのご聖訓にあるように、ご本仏・日蓮大聖人は「三世常恒」なのである。「三世常恒」である以上、「大聖人滅後に大聖人に代わる人」など存在しない。そしてその「三世常恒」姿とは、大聖人の色心二法を建立された戒壇大御本尊に他ならない。大御本尊こそが、滅不滅の「三世常恒」の大聖人そものもなのである。その大御本尊を誹謗すれば、個人も国も難にあうのである。ましてや創価や顕正のような大御本尊を利用するようなヤカラの存在は同じ種種御振舞御書の一節に

◆かかる日蓮を用いぬるともあしくうやまはば国亡ぶべし

と書かれているように「亡国」の一凶なのである。「創価によりて日本国は滅ぶべし」だ。

さて、この御文を

衆生を庇護する主の徳を支えるのは「勇気」であり、衆生を教導する師の徳を支えるのは「智慧」であり、衆生を育む親の徳を支えるのは「慈悲」である。これはそのまま、現代において求められる指導者像そのものでもある。この「勇気」と「智慧」と「慈悲」をすべて具えた指導者こそ、我らが創立者池田大作先生、その人である。

などと解釈した創価学園莫迦がいたが、この莫迦に限らず創価民の中には「現代の主師親具備の人は大作センセ」と思って疑わない連中もまだまだ多い。もしその説を採用するならば日本の存亡は大作センセ次第ということになる。あるいは創価次第という事か?「その通り」と創価の罵詈活はいうのだろうが、ならば大作センセが本仏であるという事になる。それは言葉にしなくても事実上の「大作信仰」「創価信仰」であろう。そんな連中が宗門に向かって「法主信仰」などと印象操作を繰り広げているのだから片腹痛い。創価の言う「法主信仰」などというデマゴーグについてはまた機会があれば書くが、正宗の僧俗が今回の御文を「御法主上人によりて日本国の有無はあるべし」なとど変換しているのを聞いたことないわ。日興門流はあくまでも大御本尊に信をとっていることが御書講義ひとつとっても分かるではないか。「創価学会によりて」「大作センセによりて」「公明党によりて」等々そんな風に勝手な変換をするのは創価の方である。オマエ達こそが謗法なのである。

ともあれ、今回の御文で大切なのはここでいう所の「日蓮」とは大聖人お一人であるという事であり大御本尊のことであるということだ。別な言い方をすれば「ご本仏」とは唯一無二の戒壇大御本尊以外に存在しないということである。それを勝手に色々なモノに変換するのは我見であり邪義なのである。一日も早くこの邪義・我見の創価教学を捨てて正しい法門の筋道を立てらることを願っている。それが自分の幸福の為であり「令和」時代を良くしていく方途ではないだろうか。


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