創価ダメだしブログ

創価・顕正、その他異流義破折と日蓮大聖人の仏法を正しく伝えるブログです。日蓮正宗への勧誘サイトではありません。

御書の話②

前回、「御書読みましょうね~」って話を書いたのですが御書読んでますか?

御書の話①

御書は難しくて良く分からない。ってイメージあるけどそんなに難しく考えることなく読むことが大切です。

確かに私も初信のころは、御書を読んでもなかなか理解できませんでした。通解すらできませんでしたね。

少し教学が備わってくると、仏法用語とか仏法逸話とかを知るようになり随分読めるようになりましたね。

それでも、まだまだその頃は「切文」教学のどこにでもいる学会員でしたね。

そんなある日ふと気づいた事がそれはあの大量の御書は全て南無妙法蓮華経の説明なんだ。ということです。

もっと具体的に言うと、御書には色々な事が書いてあるけど

それらは全て「戒壇大御本尊」の説明だということにふと気づいたわけです。

それが分かってからはそれまでとは比べ物にならないくらい御書が分かるようになりました。

よくよく考えればそんなこと当たり前ですよね。

御書は何のために書かれたと言えば信徒の信心を励ますために書かれたのだから、

最終的には法体である大御本尊(大聖人)に帰結することが目的ですからね。

しかし、信徒の信心の機根は一様ではないからそれぞれの御書に書かれているいるのは各自に合わせた対機説法なんですね。

だから時には真逆の事が書かれていたりします。

例えば題目一遍でも成仏できるという御文があったかと思えば折伏しなさいと書かれている御文があったりするんだけど、

それらは御書が対機説法だからです。それを分からず「切文」を利用をするのが創価教学です。

全てが大御本尊の説明なんだ。という立場で御書を読むことを「依義判文」といいます。

義(大御本尊)に依って文(御書)を判断する(読む)というこです。

前回の記事で「御書には読み方がある」と書いたのがこの「依義判文」です。

創価の活動家はよく戒壇大御本尊の事が御書に書いていない。っていうでしょ?

アレは「依義判文」が出来ない創価読みだから御書には大御本尊の事が書かれていないって思うわけ。

それを言ったら「法華経」の経文に三大秘法っていう名目なんて書いてないわけですよ。

じゃ大聖人は法華経に書いていない事を勝手に主張したのか?って話ですよ。

しかし、大聖人は撰時抄の中で、

◆仏滅後に迦葉阿難馬鳴竜樹無著天親乃至天台伝教のいまだ弘通しましまさぬ最大の深密の正法経文の面に現前なり

と言って法華経の経文に「三大秘法」が書いてある。(経文の面に現前なり)と言われている。

このことを釈して日寛上人は、「依義判文」で読めば分かると依義判文抄で

◇文底の義に依って今経の文を判ずるに三大秘法宛も日月の如し

と言われているわけです。では「文底の義」となにかということに続けて

◇勘文無きに非ず、若し之れを聞かんと欲せば先ず須く三大秘法の開合の相を了すべし。若し之れを了せずんば経文を引くと雖も恐らくは解し易からざらんことを云云。

◇実には是れ一大秘法なり。一大秘法とは即ち本門の本尊なり

「依義判文」の義を知りたければ三大秘法の開合を理解しなさい。三大秘法とは一大秘法であると言われています。

逆に三大秘法の開合を理解しなければ経文(法華経)を示しても多分分かりませんよ。と言われています。

創価民たちが御書を読んでも大御本尊の事が書いていない。分からないのはこのような理由です。

さてこの一大秘法について日寛上人は観心本尊文段の中で、

◇就中弘安二年の本門戒壇の御本尊は、究竟中の究竟、本懐の中の本懐なり。既にこれ三大秘法の随一なり。況や一閻浮提総体の本尊なる故なり

とご指南されています。この三大秘法開合の相を否定し、「文底の義」である大御本尊を捨てた創価民には、

いくら御書を読んでもそりゃ本尊義なんて全く理解できるわけがない。

(そのくせ何故が御書に書いていない大聖人がご本仏であるという事は読めるらしいのだが)

御書は大御本尊を説明したモノなのに、大御本尊を捨てた創価には御書は無用の長物なんですよ。

そもそも御書は大聖人の門下に与えられものであり、大聖人(大御本尊)を捨てた創価民に与えられた書ではないのですから。

創価民は創価民らしく、大作センセが創価民に与えた「人間革命」でも大人しく読んでいればいい。

それが創価民にはお似合いなんだよ。

その様なわけでもう一度言いますが、御書とは大御本尊の説明書なのです。

御書を難しく考えてしまうのは御書を説明書でなく設計図だと勘違いするからです。

設計図はそれを見ながら完成品をつくるためのものですから確かに難しい。

設計図通りに作るとも限らないし。でも御書はそうではない。

すでに戒壇大御本尊は眼前にあって、その大御本尊の説明なのですから

無二の信心があれば全然難しいことはありません。

読めば読むほど、大御本尊を大聖人を好きになること間違いなしです。

またそうなってこそ御書を読んだということになります。

是非御書を読んでそして心に残った一節などあったらぜひコメントで聞かせてくださいね。


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