創価ダメだしブログ

創価・顕正、その他異流義破折と日蓮大聖人の仏法を正しく伝えるブログです。日蓮正宗への勧誘サイトではありません。

書道と仏教【文化・芸能】

私が小学生の頃は、学習塾はまだ一般的ではなかったし、スイミングやサッカーなんてお金出して習うモノじゃなかった。ごく稀にピアノとか茶道や華道を習っているブルジョアな同級生もいましたが、一般家庭の子供が習い事をするなら、圧倒的に「書道」か「ソロバン」でした。私も少しだけ「ソロバン塾」に通っていましたが、三級で辞めました(笑)。最近ではまた「ソロバン」がちょっとしたブームらしいですが、いまから思うと「ソロバン」ではなくて、「書道」を習った方が良かったなぁって思います。でも字は上手だとよく言われます。父が達筆な人で、父の字を真似て書いているうちにソコソコ上手に字を書けるようになったのだと思います。文字が最初に日本に伝わったのは、建武中元2年(57年)に倭の奴国の国王が漢の光武帝に使者を送ったことに対し、『漢倭奴国王(かんのわのなのこくおう)』の印を与えたという記録が残っています。そして飛鳥時代の610年に曇微が、墨・和紙の技術を伝え、当時国内では仏教が重んじられていて写経が行われるようになります。この時代に聖徳太子が書いた、『法華義疏』が日本最古の手書きの書物として残っています。その後、奈良時代になると聖武天皇によって、国家事業として『写経所』が設立され、写経がブレイクします。このように、書道は仏教と共に発展していったのです。さて、日本の書家いえば、真言宗の開祖・空海ですね。「弘法筆を選ばず」といわれる、弘法大師です。「五筆和尚」という空海の逸話があります。空海が唐で密教を学んでいた時に、長安の宮中の壁に、王羲之(書の神様と呼ばれる人物です)の書が書かていましたが、経年劣化によって書が消えてしまいました。順宗皇帝は修復を計画しましたが、王羲之の名声に気圧されて誰も修復する人がいません。順宗皇帝は丁度その頃、唐に留学中の空海が書の達人であることを聞きつけ空海に修復を依頼すると、空海は両手両足と口に5本の筆を持って一気呵成に五行詩をしたため、順宗皇帝から、「五筆和尚」の称号を与えられたという話です。また、空海のしたためた書で『風信帖』は国宝にもなっています。写経を通して仏教と書の繋がりは深いものとなりましたが、写経以外にも過去帳や塔婆など御僧侶が文字を書く機会は一般人より多く、御僧侶には達筆の方が多いです。私の菩提寺の御住職も達筆な方です。今の時代は「字を書く」という機会が減っていますが、プリントされた文字より手書きの文字の方が温かみがあります。文字は単なる伝達手段ではなく、目に見えない心を顕すのが文字だと思います。それが「書の道」ではないでしょうか。字の上手・下手はありますが、字を見ればその人がどんな気持ちで書いたのか分かります。下手でも心を込めて丁寧に書いた字と、上手くでも適当に書いた字とでは受け取る側には分かるものです。日蓮大聖人は、「仏は文字に依って衆生を度し給うなり」と、文字は時には人を救う力があると言われています。日本にはせっかく美しい文字や言葉が沢山あるのですから、「書く」という行為を省いてしまうのは勿体ない事です。「書道」という文化を捨ててしまってはいけません。字が下手だから書きたくないという人もいるでしょうが、字は書けば書くほど上手くなりますから、そういう人こそ積極的にたくさんの字を書くといいと思います。

王羲之 - Wikipedia

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