創価ダメだしブログ

創価・顕正、その他異流義破折と日蓮大聖人の仏法を正しく伝えるブログです。日蓮正宗への勧誘サイトではありません。

創価教学じゃない御書講義(2021年3月座談会御書・乙御前御消息)

いよいよ強盛の御志あるべし、冰は水より出でたれども水よりもすさまじ、青き事は藍より出でたれどもかさぬれば藍よりも色まさる、同じ法華経にてはをはすれども志をかさぬれば他人よりも色まさり利生もあるべきなり

今月の座談御書は「乙御前御消息」の上記の御文です。全く同じと事を4年位前にやりました。創価の座談会御書は3~4年のローテで同じところばかりやっていてます。これなら「新御書」は50篇くらいで十分足りますね(笑)

▼前回の記事はこちら

創価教学じゃない御書講義(29年度7月座談会御書・乙御前御消息)

今回は前回と同じ「御志」について前回と違う話をします。信仰者にとって「志」というのは非常に大切なことです。

◆ただし仏になり候事は凡夫は志ざしと申す文字を心へて仏になり候なり、志ざしと申すはなに事ぞと委細にかんがへて候へば観心の法門なり(白米一俵御書)

との御妙判にあるように、凡夫というのは「志さじを心得て」成仏するのです。この「志さじ」とは「観心の法門」で、「観心の法門」とは何かというと、例えば貴方が友人にお菓子をもらったとします。丁度、自宅の御本尊にお供えがなかったからそのお菓子を仏前に供えました。とこう書くとなんだかちょっと「信心がありそうな」話ですが、これは「教相の法門」です。「教相の法門」とは「上辺だけ」「見た目だけ」で体裁を整えるような信心のことです。「観心の法門」とは自宅の御本尊にお菓子をお供えしたいと思い自分でお店に行き自分のお金で買って供える。というものです。自分で店に行く。自分のお金で買う。その時間や道のりに真心があるんです。そこが重要なんですね。この真心・誠心を「観心の法門」といい「志ざし」といい凡夫が成仏する要です。さて、今回の御書は題号は「乙御前御消息」となっていますが実際にお手紙を頂いたのは乙御前のお母さんで、大聖人から日妙聖人というお名前をいただいた純信の女性信徒です。

◆日本第一の法華経の行者の女人なり、故に名を一つつけたてまつりて不軽菩薩の義になぞらへん日妙聖人等云云。(日妙聖人御書)

日妙聖人は寡婦の身でありながら幼い乙御前の手を引いて鎌倉から佐渡にいる大聖人の許へ訪ねていきました。

◆相州鎌倉より北国佐渡の国其の中間一千余里に及べり、山海はるかにへだて山は峨峨海は涛涛風雨時にしたがふ事なし、山賊海賊充満せり、宿宿とまりとまり民の心虎のごとし犬のごとし、現身に三悪道の苦をふるか、其の上当世は世乱れ去年より謀叛の者国に充満し今年二月十一日合戦、其れより今五月のすゑいまだ世間安穏ならず、而れども一の幼子ありあづくべき父もたのもしからず離別すでに久し。 かたがた筆も及ばず心弁へがたければとどめ畢んぬ(日妙聖人御書)

今と違い鎌倉から佐渡までの道は長く危険であり命を落としかねない旅です。守ってくれる旦那さんもいない中で幼子を連れて大聖人に会いに行く。その道中や心情を想像しただけで涙が出てきます。大作ファンクラブのご婦人達とは全く違いますね。そうした純真な信心を大聖人が称えられ「日妙聖人」という最高の名前を付けて下さったのです。

◆然るに玄奘は西天に法を求めて十七年十万里にいたれり、伝教御入唐但二年なり波涛三千里をへだてたり。此等は男子なり上古なり賢人なり聖人なりいまだきかず女人の仏法をもとめて千里の路をわけし事を(日妙聖人御書)

ひたすらに大聖人を恋慕して求めていく。これが「御志」であり「観心の法門」であり「凡夫が成仏する」信心なんですね。貰い物を仏前にお供えしようなんてもっての外です。スーパーにお供えを買いに行くのも面倒くさがって貰いもののお菓子で済まそうとしていては成仏なんて遠い未来ですよね。反省します(笑)さて、今月は創価の諸君はこの御書を学ぶようですが貴方たちはこの御書を読んで「恥かしくないですか?」生身の大聖人である戒壇大御本尊にお目通りをしたいとも思わないその心根の貧しさ。しかもその理由が「大石寺は謗法だから」でしょ。創価の諸君に聞きたいが、日妙聖人が大聖人を訪ねていった佐渡の地は当時は【謗法の地】ではなかったんですか?【謗法の地】ですよね?だから百歩譲って「大石寺が謗法」だったとしてもだからと言って戒壇大御本尊を捨てる理由にはならないのですよ。大聖人は【謗法の地である佐渡】に来られた日妙聖人を最大に称賛しているでしょう。それが今回の御文にある【強盛の御志】なのです。「大石寺が謗法の地だから大御本尊を受持しない」というのは、大聖人が佐渡流罪になったら退転した人間たちと全く同じ人種です。創価サイトでは佐渡流罪を機に退転した人々を「多数の門下が臆病と保身から、大聖人の仏法に疑いを起こして退転してしまいました」と説明してますが、まさに今の創価の貴方たちが「臆病と保身で退転した多数の門下の一人」なのです。もちろん退転者に利生(功徳)などありません。「同じ法華経」でもありません。今月、本抄を学ぶ学会員さんの中で日妙聖人の姿を感じて自分自身が恥ずかしいと思ったのであればまずは戒壇大御本尊に対する信心・恋慕の気持ちを持つべきです。そうでなければこの御書を学んでもそれは「教相の法門」にしかなりません。「御志」を持つ学会員さんが一人で多くいることを願っています。


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