創価ダメだしブログ

創価・顕正、その他異流義破折と日蓮大聖人の仏法を正しく伝えるブログです。日蓮正宗への勧誘サイトではありません。

創価教学じゃない御書講義(2020年2027月座談会御書・上野殿後家尼御返事)

法華経の法門をきくにつけてなをなを信心をはげむをまことの道心者とは申すなり、天台云く「従藍而青」云云、此の釈の心はあいは葉のときよりもなをそむればいよいよあをし、法華経はあいのごとし修行のふかきはいよいよあをきがごとし。

7月の座談会御書は「上野殿後家尼御返事」です。創価の好きな「いよいよ」の文字が書かれていますね。「もっと新聞啓蒙しろ」「もっと財務をしろ」いうようなことを言いたいときに「いよいよの信心」などとほざくのが創価指導の「いよいよの信心」というこです。さて御文の最初に「法華経の法門」を聞いて信心に励むのが道心者。即ち求道心ある信徒(弟子)である。大聖人様は言われています。「法華経の法門」というのは言うまでもなく「南無妙法蓮華経の法門」ということになります。この南無妙法蓮華経の「体」とはいつも言いますが、日蓮大聖人の色心の二法である戒壇大御本尊のことです。ですから「法華経の法門」とは「戒壇大御本尊の法門」ということになります。創価民が毎月座談会で呼んでいる御書というのは「戒壇大御本尊の法門」が書かれている書です。従って戒壇大御本尊を捨ててしまった創価民は御書を読んで学んだところで何も得ることも理解することもできないのです。戒壇大御本尊の事が御書に書いていないという創価民がいますが「書いていない」のではなく理解できないだけです。また戒壇大御本尊を否定するために御書を引き合いに出すこと自体が既に御書がなんたるかを全く理解できていない謗法・不信の者だといえます。法華経の法門をきくにつけてなをなを信心をはげむ」というのは教学を学んで更に戒壇大御本尊への信心が強くなるということで、そのような人が本当の大聖人仏法の行者だということです。ところが今の創価は前述の通り法体である戒壇大御本尊を捨てていますので創価に「法華経の法門(南無妙法蓮華経の法門)」など何一つないわけです。例え御書を読もうとも創価の場合は「南無妙法蓮華経の法門」ではありません。法体を捨てた創価民が法門など説けるわけないし理解できるわけありません。それが証拠に毎月御書を学んでいても戒壇大御本尊への信が全くわいてこないでしょう?一体貴方たちは何のために御書を学習しているのですか。創価にいたら正しい「南無妙法蓮華経の法門」は学べないんですよ。

◆此の経は相伝に有らざれば知り難し(一代聖教大意)

◆当門流に於ては御書を心肝に染め極理を師伝して若し間有らば台家を聞く可き事。(日興遺誡置文)

とのご指南にあるように「法華経の法門」は「法体相承」した御当代を始めとする御歴代上人のご指南の元に学ばなければ理解できないし邪義・己義になってしまう。池田センセを筆頭に創価の凡夫ごとぎが「南無妙法蓮華経の法門」など説法できる道理がない。自分が持っていないものをどうやって説明するのか?彼らがまき散らかしてるのは邪義・己義であって「法華経の法門」ではありません。歴代上人のご指南を受けた戸田会長の指導と、破門後の池田・創価幹部の指導を聴き比べればその差は明らかです。

次に天台の「従藍而青」についてですが、「従藍而青」とは「青は藍より出でて藍より青し」という読み下しで青色は「藍」で染めるけど何度も染めていると元々の「藍」よりも青くなるという意味です。様々な解釈・使い方がある言葉ですが本抄では、「藍」を「御本尊(法華経の法門)」に譬え「青」を修行に譬えています。御本尊には「仏力」「法力」が最初から備わっていますが、「信力」「行力」の修行が加われば、御本尊の「仏力」「法力」もその力をさらに増し功徳もより深大になっていくということです。さて、最初に求道心の話をしましたが、「法華経の法門(南無妙法蓮華経の法門)」」は勝手に耳に入ってくるわけではありません。私達の側から求めなければ「法華経の法門」を聞くことはできないのです。自分で御書や歴代上人のご指南を学ぶ。お寺に参詣して法話を聞いたりご住職に質問したり、或いは日蓮正宗の法門・法義を語る人の話を聞いたりと「法華経の法門」を聞くことは全てこちら側の求道心にかかっているのです。そのような機会がありながらそれを避けて創価のインチキ話ばかりを聞いて創価のインチキ修行なんてやったところで意味がないどころかむしろマイナスです。信心とは何か?といえばこの求道心が全てといって過言ではありません。仏を求め法を求める。それが修行であり信心なのです。諸法実相抄に「行学は信心よりをこるべく候」とありますが、この心が今月の座談会御書の心です。学会員さんは先ずは「法華経の法門(南無妙法蓮華経の法門)」を聞くことです。「法華経の法門」を聞くためには戒壇大御本尊に信を取り戻すことです。戒壇大御本尊を離れて「南無妙法蓮華経の法門」なんてひとつもないのですから。どうぞ創価のインチキ幹部・インチキ活動家に騙されないよう一人ひとりが求道心を持って勇気をもって「南無妙法蓮華経の法門」を聞かれることを希望します。


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