9月8日に、O元地区Lと二人で御登山をして御開扉を受けてきました。今回が通算で50回目の御登山になりました。2022年12月から思うところがあって、できる限り毎月御登山をしようと決意して、今回まで毎月の御登山をすることが出来ています。その中で、昨年は『寛師会』に、今年は『御虫払い法要』に参加できたことは思い出深いです。あとは『御大会』に参詣出来れば大石寺の三大法要をコンプリートですが、こればかりは御住職が決める事なので、その日か来ることを楽しみに待つことにします。今回の御登山は、日顕上人の七回忌法要の御逮夜が奉修される日でしたので、各地から代表登山をされた法華講員さんが大勢いて、御開扉も平日とは思えないほどの人数でした。また、いつもは火曜日に御登山することが多いのですが、今回は月曜日にしました。というのも、宝物殿が火曜休館になってしまったからです。現在、宝物殿では日顕上人の七回忌と日寛上人の300年遠忌を記念して両上人の特別展を開催していて、どうしてもそれを見たかったので月曜日にしました。本当は、六壺で夕勤行もしたかったのですが、日顕上人の法要の為に六壺の夕勤行が15時からで、勤行に参加すると宝物殿を見る時間が無くなってしまうので、六壺での夕勤行は次回以降にすることにしました。

こうして毎月御登山をしていると、総本山大石寺の四季の移り変わりを肌で感じます。春夏秋冬どの季節の表情も趣があり、何度行っても言葉では言い尽くせない幸せな気分になります。杉木立の間を通って聞こえてくる、夏の終わりを惜しむような蝉の声にしばし耳を傾けていました。立地的な違いもありますが、信濃町学会本部では絶対に感じることのできない気分です。大石寺よりも近い学会本部も何度もいったけど、用事があるから行くといった具合で、用事がなければ「学会本部に行きたい」とは思いませんでしたが、大石寺は登山して家に帰ると直ぐにまた行きたくなります。もちろん、日蓮大聖人(戒壇大御本尊)がいらっしゃる事が一番の理由ですが、境内の風景・空気に、歴史と伝統が溶け込んでいて、生命の原風景を見ているような気持ちになります。この大石寺を謗法の山だという池田大作や浅井昭衛の気が知れません。恐らく彼等は大石寺は特別な場所だと認識していなかったのでしょう。つまりは信心が無かったということです。そして、そんな悪師に騙されて大石寺に参詣できなくなった、創価・顕正会員は憐れです。創価・顕正会員は一刻も早く日蓮正宗に改宗し、総本山大石寺を訪れるべきです。日程が合えば一緒に登山して、境内をガイドしますよ(笑)。私も、死ぬまでにあと何回御登山できるか分かりません。諸般の事情で毎月の御登山もいつまで続けられるかも定かではないですが、まずは次は100回目の御登山に向けてできる限り御登山したいと思います。大石寺まで日帰りで行ける恵まれた場所に住んでいるのだから、1回でも多く御登山をしたいと思います。
創価学会の退会方法(静かに創価を去るために) - 創価ダメだしブログ
▼一日「イチ押し」お願いします

