「武士道といふは、死ぬ事と見付けたり。」の名言が有名な『葉隠(はがくれ)』は、鍋島光茂(佐賀藩2代藩主)の藩士・山本常朝の口述を、同じく藩士だった 田代陣基 (たしろつらもと) が7年間にわたって書き留めた全11巻の書物です。作家の三島由紀夫は「わたしのただ一冊の本」といい『葉隠』に心酔していました。『葉隠』も多くの書籍が出版されていますが、私は三島が書いた『葉隠入門』が気に入っています。しかし三島が切腹自決をしたことから、葉隠=過激な書物というイメージが定着してしまいました。私はそんな彼を「三島は葉隠を読み違えた」と思っています。とはいえこの『葉隠』を三島のように精読しようとすると凄く難解です。なにせその量が膨大なので一般人が全てを読むだけで無理があるし、そのすべての思想を理解するなんて学者でもない限り到底できません。ただ現在出版さている書籍を読むだけでも日本男児の精神ともいえる武士道の一端を知ることができ、現代でも通用する部分も多々あります。現代ではビジネスマン(サラリーマン)の心得として読んでいる人が多いでしょう。私は『葉隠』は、「死にざま」を教え、そこから「生きざま」を示している書籍だと思っています。それは仏教、就中私が信仰している日蓮大聖人の仏教と非常に親和性が高く、むしろ『葉隠』は日蓮大聖人の仏教の一旦を説明している書籍ではないかと思うくらいです。日蓮大聖人も「されば、まず臨終のことを習って後に他事を習うべし」と言われています。常朝の時代は武士はすでにサラリーマン的な組織人と化していて、武士が死に向きうことはなく武士道が廃れていった時期でした。そんな中で常朝が武士の美学を語ったのが『葉隠』です。とはいえ、常朝自身もサラーマン武士として生きましたので、組織の中の処世術のような内容もあり、そこが現代人には参考になるようです。とはいえ『葉隠』の中心的な教えは「死に狂い」です。死に向き合う事を避けていては、死に物狂いで物事に対することはできません。日々、死ぬことを意識して必死に生きることを常朝は教えてくれています。常朝の言う武士道とは仏道でもあると感じます。では、いくつか山本常朝の名言を紹介します。①「毎朝、毎夕、改めては死ぬ死ぬと、常往死身に成っているときは、武道に自由を得、一生落度なく、家職を仕果すべきなり」日々死ぬ覚悟を持って生きる時に人は本当の自由を得ることができる。保身に走れば不自由なのです。②「『只今がその時』、『その時が只今』、つまり、いざという時と平常とは同じことである」常日頃から「いざ」という時を想定して、大事の時にも平常心でいろといことです。仏教の臨終正念という事です。③「只今の一念より外はこれなく候。一念々々と重ねて一生なり」これは完全に仏教の思想そのものです。④「本気にては大業はならず、気違ひになりて死に狂ひするまでなり」大きな仕事を成し遂げるには、「キチガイ」と呼ばれるくらいその事に取り組まないと成し得ないものです。どの世界でも成功している人はストイックです。⑤「盛衰を以て、人の善悪は沙汰されぬ事なり」お金や地位・人気があるということで善悪は決まらないのです。結果だけで人の善悪を決めてはいけない。勝てば正義ではありません。善悪は勝負を離れて存在するのです。美学や道徳などが薄れてきている現代人にとって『葉隠』は日本の精神を呼び戻すに相応しい書籍だと思います。
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