悪性ウィルスのように世界に広まった創価学会。日本ではつるべ落としのように衰退している創価学会員にとっての海外の信者増だけが唯一の自慢だが、世界人口比での創価学会員の割合は僅か0.03%程だ。創価の世界広布の第一歩は昭和35年の池田大作の初の海外旅行から始まった。『新人間革命』の第一巻に(以下太字は新人間革命より引用)、「10時40分、一行を乗せた日本航空(JAL)800便は、轟音を響かせて離陸し、一路、ハワイのホノルルに向け、飛び立っていった。一行の飛行機は、就航して間もない大型ジェット旅客機であった。この年の8月12日、日本初の大型ジェット旅客機として、DC8型の『富士号』が就航。以来、空の旅も"ジェット機時代"の開幕を迎えたのである。眼下には、伸一が生まれ育った、懐かしいふるさとの大森の海が見えた。海面には、太陽の光を浴びた無数の波が、キラキラと銀色に照り輝いていた。それは、伸一の旅立ちを祝福し、見送っているかのようでもあった。」と書かれている。この慰安旅行の一行とは、北條浩・石田次男・小平芳平・秋谷栄之助・柏原ヤスの面々である。まだ創価も小さかったから折角の慰安旅行も倹約せざるを得なかったようで、小説には、「一行は今度の旅では倹約をモットーにしていた。それは自分たちの旅費はできる限り切り詰め集ってきた現地の友に飲み物を振る舞うなど皆に喜んでもらえるように有効に使おうという伸一の発案によるものであった。当時は旅行者1人が手に入れることができる外貨は1日当たり35ドル(当時の換金レードは1ドル=360円)と、厳しく制限されていた。そのなかで出費をおさえるとなれば、食事代を切り詰めるしかなかった。(中略)こんなステーキでみんなには申し訳ないが学会は少欲知足でいこうよ。ことに幹部が質素で清らかであることを忘れれば、そこから堕落が始まってしまうからね」 伸一は笑みをたたえながら、皆に言った。」と書かれている。昭和35年当時に海外旅行は庶民にとって夢のまた夢の話で、そんな庶民の創価学会員からの浄財で旅行に行くのだから、いちいち池田(伸一)が提案するまでもなく倹約に努めることは当然の事ではあるが、ところどっこいナント池田だけは飛行機はファーストクラスだったというのだから、「食事代を切り詰める」とは”少欲知足”が聞いて呆れる。こうなると本当に食事代を切り詰めていたかも怪しいものである。

別に池田がファーストクラスを利用することに誰も何も文句はないのだが、小説にわざわざ「倹約」「質素」「少欲知足」などというウソを書くのは良くない。もっともこのウソは、宗門・日顕上人攻撃を念頭に入れた策略だろう。『新人間革命』の執筆開始は破門後の平成5年。創価はそれまでも宗門僧侶や日顕上人に対して贅沢三昧・堕落坊主などいうネガキャンを展開していて、その一環としての池田創価は宗門とは違い「少欲知足」「清廉潔白」であるということを強調し、会員の印象操作することを目的に書かれた下りだろう。「幹部が質素で清らかであることを忘れれば、そこから堕落が始まってしまうからね」というセリフは、宗門を「贅沢して堕落した」という当時の正宗攻撃と軌を一にしている。それにしても、「倹約」といいながら自分だけはファーストクラスとは傲慢で見栄っ張りの池田の本性が垣間見えるではないか。せめてビジネスクラスにすれば同行の部下たちに、もう少し「いいステーキ」を食べさせてあげることが出来ただろうに。もっとも池田の半生をみれば「清廉潔白」などとは程遠い。運航したばかりのジャンボジェットのファーストクラスでふんぞり返って、初めての海外旅行を王様気分で満喫していたいう事は容易に想像できる。そして現在の堕落した現在の創価学会の姿は、原田会長を筆頭に創価幹部が贅沢で濁っているという証拠だろう。山本伸一の言う通りになったというか、池田大作のしてきた真似しているというか。こんな連中にせっせと財務を納金している創価員は憐れのひと言に尽きる。
創価学会の退会方法(静かに創価を去るために) - 創価ダメだしブログ
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