創価ダメだしブログ

創価・顕正、その他異流義破折と日蓮大聖人の仏法を正しく伝えるブログです。日蓮正宗への勧誘サイトではありません。

創価学会破門の経緯と真実⑥【狂気の宗門攻撃そして破門へ】

平成2年の年末、宗門の人事で池田大作が総講頭の地位を喪失し年が明けた平成3年は池田創価による狂気と思える宗門攻撃が始まった。まるで用意周到に準備していたかの如く平成3年1月1日には早くも創価怪文書地涌』が総本山と全国末寺にFAXで送信される。1月7日付の聖教新聞には正木青年部長(当時)が『許されぬマスコミ利用の学会攻撃」という見出しで本格的に宗門攻撃を開始するとそこから「創価新報」「パンプキン」「第三文明」「潮」など創価系出版物全てを使い怪文書と共に毎日のように執拗に宗門攻撃を仕掛けてきたのである。同時に各地域では末寺にFAXで抗議文を送り付けたり講義の電話攻撃も開始する。また寺院に参詣しないように会員に呼びかけ御講日には寺院周辺を見張って参詣してきた学会員を追い返す活動を展開する一方で男子部が中心となり御講に多人数で参加し音声を隠し撮りしたり住職を批判し吊るしあげるような発言して御講妨害のようなことをしていた。また寺止めと同時進行で大石寺への登山止めの活動も行われた。大石寺に登山したくても学会経由だと「行くな」と説得される学会員が多数いた。ところが平成3年7月に宗門が添書登山方式に切り替えると創価大石寺創価学会員を「登山禁止にした」などとウソをく。創価員の登山を妨害したのは他ならぬ学会幹部・活動家なのにである。日を追うごとに激しさを増す宗門攻撃はやがて僧侶不要論・寺院不要論・仏事不要論へ進んでいく。平成3年6月には『問われる聖職者の体質』と題された宗門批判の小冊子を非売品として創価幹部に配布して各地の創価幹部達はそれを底本として宗門批判を内外に展開していった。末寺住職への批判から始まった僧侶批判はやがて法主上人猊下である日顕上人にまで及び「日顕」と公に呼び捨てるまでになり10月にはあろうか日顕上人へ対する退座要求の署名を始めたのである。ここに至って宗門は平成3年11月7日に創価学会に「解散勧告」をし、同年11月28日付で創価学会SGIを破門したのである。創価の連中は破門されたことに対し「何も悪い事をしていない池田先生や学会員を話し合いもなく一方的に破門した。破和合僧だ」と主張するが、平成3年正月から破門までの約11カ月間に池田創価が宗門や日顕上人に対して批判誹謗中傷してきたか事実は時系列と内容を見れば明らかであり、これらの言動を「何も悪い事をしていない」と言うのは狂っているだろう。また寺止め・登山止めを組織的にしていた池田創価が宗門を破和合僧と指弾するのは筋違いで破和合僧を犯していたのは池田創価学会の方なのである。「話し合いもない」と宗門批判しているが、「対話」を拒否して最初から宗門攻撃をしたのも池田創価の方なのである。更に創価の主張する「C作戦」も時系列を追っていけば存在しないことも明らかだ。もし「C作戦」が存在していたなら池田創価を即座に破門した方が宗門にとっては有利だったはずだ。ところが池田創価の陰に陽に毎日続く攻撃に宗門は1年近く耐え我慢してきたのだから「C作戦」は創価のでっち上げたデマと言えるだろう。いずれにせよ、平成3年の年頭からの創価の狂気じみた異常な宗門攻撃は宗門が池田創価を破門にするのに十分おつりが来る正当な処分である。今の50歳以下の学会員や破門後入会の学会員は、当時の池田創価が宗門に対して何をしてきたかを知らずに正宗批判をしている連中も多い。事実をきちんと調べれば池田創価が破門されたのは全て池田創価に非があることは明白なのである。また池田創価は「破門」されたことを「独立」と歓迎してることを思えば最初から池田創価が独立を目論んでいたと考えていいだろう。誤解しないように付け加えておくが正宗から破門されたのは創価学会池田大作創価学会員は「信徒資格を喪失(剥奪)」されただけで破門されていない。だから学会員は勧誡を受けて正宗信徒に復帰できるのである。現役創価学会員は真実に目を向けるべきである。

■前回の記事▶創価学会破門の経緯と真実⑤【総講頭の地位消失】 - 創価ダメだしブログ

創価学会の退会方法(静かに創価を去るために) - 創価ダメだしブログ

 

▼一日「イチ押し」お願いします

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 創価学会 批判・告発へ
にほんブログ村


創価学会ランキング

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へ
にほんブログ村