活字マニアの私は毎月5冊前後の本を読みます。日蓮大聖人の仏法を中心とした仏教書と仏教以外の宗教書をメインに読んでいますが宗教関連以外の本も読んでいます。ほとんど読まないはノベル系です。推理小説やミステリー小説はまず読みません。ベストセラーに飛びつくこともないです。自分が読みたい本を古今東西問・ジャンルを問わず読んでいるっていう感じです。小説は読みませんが古典文学はたまに読みます。古典文学というと日本では『論語』などの中国古典が良く読まれていますが、私は日本の古典も好きです。近年では学校教育のプログラムから古典を外して代わりに中国語などの第三外国語を教えたほうが役に立ついう主張も多いです。古典は役に立たないという意見を持つ人が増えてきたという事でしょうが、役に立たないというならば学校で受ける授業の大半は役に立たない内容だと思います。微分積分とか相対性理論とか私のここまでの人生で実用的に役に立ったことはありません。確かに外国語はグローバル時代には必要だと思いますがその為に自国の古典を削るという理屈は全く分かりません。古典は多くの人にとっては実用的ではないのでしょうが私は古典を学ぶことは必要だと思っています。日本古典文学には日本の歴史・思想・宗教・文化という日本人としてのアイデンティティが詰まっていっているからでグローバル時代だからこそ自国の事を語ることは必要かつ重要です。その意味において日本古典は日本人として必要不可欠なリベラルアーツだと思います。現代語訳でも意味は分かるから(むしろ分かりやすいし)わざわざ古文で読む必要はないと思うかもしれませんが、例えば『枕草子』の【春はあけぼの。やうやう白くなりゆく山ぎは、すこしあかりて、紫だちたる雲のほそくたなびきたる。】を現代語で【春は夜明けが良い。次第に白んでいく山と空の境目が少し明るくなり、紫がかった雲が細くたなびいていくのが素晴らしい。】と読むとどうですか?現代語訳では単なる説明文で風情や味わいを感じないのです。そして何よりも日本語の美しさ。【春はあけぼの~】を英語にすると"In spring, dawn is beautiful more than anything else.”ですよ。味も素っ気もない(笑)。この風情とか味わいといった【趣】を余すことなく表現できる美しい日本語の素晴らしさ。文学というのは音楽や絵画と同じで「言葉(文字)」を使った芸術です。古典文学というのはクラシック音楽と同じだと思います。古典文学の中には仏教の教えや逸話も書かれています。例えば『今昔物語』には芥川龍之介の『羅生門』や『鼻』といった小説の元になった話が書かれていますし、『古今和歌集』などの和歌集には釈教歌と呼ばれる仏教の関連する和歌がたくさんあります。そうした古典文学を読むことで日本人の仏教信仰を感じることができ、それは現在の新興宗教団体の違和感を感じられる感性を養うことになります。宗教に対する感性が鈍感になったことが戦後のカルト宗教を生み出した原因のひとつではないでしょうか。いずれにせよ日本人は自国の文化に対して無頓着すぎると感じます。中国古典は読んでも日本古典は読まないという人も多いと思いますが、時には日本古典を読んで日本の言葉・文章の美しさや日本人の精神に触れてみるのも悪くないですよ。
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