創価ダメだしブログ

創価・顕正、その他異流義破折と日蓮大聖人の仏法を正しく伝えるブログです。日蓮正宗への勧誘サイトではありません。

絵理子さんへのご回答(折伏について)

今日は、絵理子さんのコメントの返事をかきます。

未活動家の学会員の折伏についてのご質問ですが

その前に、

>私は現在、学会の活動はしていません。教義が変わって…創価は私の亡き親が入会した創価とは、全く別物になってしまった気がするのです。

このコメントについて少し書きます。

私の友人の学会員の2世・3世にも同じような学会員がいます。

両親は「戒壇大御本尊」へ信を貫かれたまま他界した。

そんな学会活動家の友人によく話すのは

「大御本尊を捨てた創価で活動しているということは

大御本尊を信じ抜いて亡くなったご両親と君は

違う信心をしているのだ」ということです。

両親と同じ創価学会員でいる事が

両親と同じ信心をしていることではなく

同じ大御本尊を信じる事が、

同じ信心をしていることなんだ。と。

大御本尊を信じて亡くなった両親に対して

大御本尊を棄てた創価で祈ってていても

両親への回向になる道理はない。

そう言っています。

創価は教義を変えたのではなく

本尊そのもの変えたしまったのです。

それは、いままで日蓮正宗創価学会員として

一生を貫いた 人達に対する

大きな裏切りであり冒涜です。

ですから、絵理子さんが創価の活動をしていない。

ということは親御さんの信心を

正しく受け継いでいると思います。

その上で、折伏をしたい。と思われている。

さぞや、親御さんも

そして大聖人もお喜びのことだと思います。

その心だけで十分功徳をいただけると思います。

では、折伏について所感を書かせてもらいます。

>ただ…自分が活動したくない創価を友人に勧めることはできません…

管理人様は…どんなふうにお友達に信心のお話をなさっているのでしょうか?

私が、男子部時代5年間、支部~本部の弘教長をしてきて感じたのは

折伏できない人には決まったパターンがある。ということです。

折伏できない人の共通するパターンは

必ず【創価学会の話からはじめる】人です。

多くの人は、創価学会や池田センセに【何の興味もありません】

創価学会や池田センセが、

世の中のためにいいことをしていようが

どこぞの誰かから勲章や称号をもらおうと

逆に、創価や池田センセが悪いことをしてとしても

善悪どっちであっても、そんなの【どうでもいい話】なんです。

創価や池田センセなんて、何も関係ない存在なのです。

世間の人たちはそんな話に【なんの興味もない】のです。

そんな【なんの興味もない話】をされても

聞いてる方はただ

「つまね~」「くだらね~」で終わりです。

「君がやる分には構わないが、巻き込むなよ」って思ってます。

そうした相手の気持ちもわからずに

ひたすら、学会や池田センセの話をする。

そんな人は折伏が決まりません。

世間話だって、こっちの興味のない話を

延々さらたらイヤになります。

ましてや、宗教の話なら尚更です。

それをしでかしちゃうのが創価活動家さんです。

この傾向は幹部に強く、

それが【幹部が折伏できない】の大きな原因です。

それはさて置き、

そもそも、創価学会のことを話す。なんていうのは折伏じゃありません。

折伏とはあくまでも【大聖人仏法】のことや

【大御本尊】のことを話すのが折伏です。

それ以外のことを話しても下種にもなりません。

創価の話をするなんていうのは、だたの世間話です。

聞いている方も、聞かせてる方も、単なる暇つぶしにしかなりません。

ここまで書けば察しがつくかと思いますが、

創価を友人に勧めること」などする必要は全くないのです。

無論、創価の話などする必要もない。

私は、友人に信心の話をするときは

創価の話は一切しません。

ただ、大聖人の仏法の話をするだけです。

自分が信心をして、どういう功徳を受けたか。

それを話すだけです。

勿論、相手は信心をしていない人ですから

「信仰」の大切さとか話したり

「死後の世界の有無」とかの話だったり

色々ですが、最終的には「大御本尊のはなし」をします。

ここで一応終了です。

大御本尊の話を聞いてもらえば、【下種】は完了です。

ここまで話ができれば、話した方も聞いた方も功徳がでます。

あとは、聞いた本人が「やる」か「やらないか」です。

さて、今もし「信心をやりたい」と友人に言われたら

私ならば近く日蓮正宗の寺院を紹介するか

友人に法華講員もいますのでその人に会わせます。

間違っても「創価学会に入会」などさせません。

友人に「お前は学会なのになんで学会に入会させないんだ」と言われたら

今の、創価がいかに謗法であるかを説明します。

そして、「俺もそのうちソッチに行くから先に行っててくれ」と言うつもりです。

ていうか、外部の友人と信心の話をすると実際のそういう風になります(笑)

ともあれ、折伏というのは、創価の話をすることじゃありません。

まずは、絵理子さん自身が「信心をしていて良かった」と思ったことを話せばいいと思います。

そのためには、絵理子さん自身が幸福になることです。

そんな絵理子さんが信心の話をすればご友人もこの信心を信じるのです。

それが、本当の折伏だと思います。

私も常にそうでありたい。と心がけています。

◆現在に眼前の証拠あらんずる人此の経を説かん時は信ずる人もありやせん(法蓮抄)

日蓮仏法をこころみるに道理と証文とにはすぎず、又道理証文よりも現証にはすぎず(三三蔵祈雨事)

どうぞ、正しく大御本尊に信を取り

ご両親への追善回向

そしてご自身の一生成仏を目指してください。

あとは、お友達を大切に良いお付き合いを続けてください。

それが、大聖人仏法における折伏です。

また、いつでもコメントしてください。

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