創価ダメだしブログ

創価・顕正、その他異流義破折と日蓮大聖人の仏法を正しく伝えるブログです。日蓮正宗への勧誘サイトではありません。

「弘教」?いやいや「恫喝」でしょ。

ここ数日、りこさんのコメントを読んで思うんだけど

本当に創価バリ活さんってのは狂ってんだなぁ。

①『守っていただいた、ご本尊様に恩を仇で返すなんて、恩知らず親不孝者』

②『本当の愛なら、理解してくれる。 理解をしてくれないのなら、相手に思いやりがないから。』

こうりこさんのカレの親御さんはカレに言ったらしいが

もう、読んだだけで気持ち悪い。

①に関しては、完全に「はぁ?」って感じ。

根本のご本尊である戒壇大御本尊を捨てて

挙げ句の果てに「創価学会仏」なんていう

大聖人以外の「仏」を口にし文字で書く。

創価学会仏」というのは今のことでなく将来的な話だ。

相変わらずそうした詭弁を騙る学会員もいるのだが

今とか将来とかそいう話でなく

大聖人以外に対して「仏」という称号を付けることが

既に間違いであり謗法ってことがわからないのかね。

そんな風に、大聖人を捨て、軽んじめ、

自らを仏と驕り高ぶる創価活動家が言うにことかいて

「守っていただいた、ご本尊様に恩を仇で返すなんて、恩知らず」とは。

一体どの口が言うのか?

恩知らずは、一体どっちなんだと

聴いてる方が空いた口がふさがらないよ。

で②でしょ。

りこさんに直接言うならまだしもこれを、自分の息子に言ってるわけでしょ?

創価バリ活特有の卑怯さが滲み出てる気がする。

本人のいない前で、こういう事を平気で言っちゃう人間性

どうして、バリ活ってのはこうなんだろ。

リコメにも書いたが、「信仰に反対しない」だけでも

相手に十分感謝するのが、愛情のある親というもんだと思う。

大聖人を騙る、インチキ創価なんぞに理解をもって接してくれんだから。

普通だった「創価」と聞いただけで「ギブ」だろう。

しかし、これを言っている本人たちや

これを言わせている幹部・活動たちは

これを「折伏」「弘教」と思ってやっいるのか?

そこが一番の謎というかキモだね。

こういうやり方を大聖人は「折伏」とか「弘教」とか言ってるのか?

そう言っているのなら、是非「文証」を上げて説明をしてもらいたいもんだ。

一般世間の常識では、このようなやり方のことを

「恫喝」とか「脅迫」とか「パワハラ」って呼ぶんだよ。

「詐欺」に引っかからなければ「脅迫」とは恐れ入る。

そうまでしなければ、「折伏・弘教」ができないとは。

創価活動家さん達に魅力がないのか

創価学会に魅力がないのか

両方なのか

どっちにしても無惨としか言いようがないね。

まぁ、「折伏」については俺が男子部時代から出来ていなかったし

この手の「折伏」も昔からある。

女子部のおね~ちゃんやもよく使う手。

「入会してくれなけれ貴方とはお付き合いできない」とか言ってね。

男子部もたまに使うやついるが

男子部の場合は女子にモテない系が多いので女子部ほど使えない。

(まぁ、学会女子部も男子にモテない系が多いんだけど男子部よりは有利かな)

壮年部とかで自営業場合は自分のところの社員とか強引に折伏しちゃう人とかいたな。

こういうのは、実際に暴力・暴言は使わないが

立場を利用して相手を精神的に追い込んでいくのは

立派な「脅迫」「パワハラ」だよね。

そんなことしなければ「折伏」ができないのはなぜか?

それは「創価が間違っている」からに他ならない。

折伏」というのは、確かに「信力」「行力」がなければできないが

ぞの前提として「法力」と「仏力」の存在が大前提だ。

以前も書いたが、創価が何故これほど発展したのか?

勿論、ひとり一人の会員の「信力」「行力」であるが

その力を発揮させ結果を出させたのは

大御本尊に「仏力」「法力」があったからこそ。だろう。

これに異議のある学会員はほぼいないはずだ。

その大御本尊を捨てた創価には

最早、まともな「折伏・弘教」などできないのだ。

そりゃそうだ、創価には日蓮大聖人に関するものは

有形無形を問わず「何もない」のだから。

大御本尊を捨てた時点で三大秘法はなくなった。

創価仏を言い出した時点でご本仏もなくなった。

そう何も語れることなどない。

今、創価にあるのは末法の荒凡夫の池田センセのありがたくもないお言葉と

本来であれば、正宗に返却するのが筋なのに返さないでいる

宗門から「だまし取った」大誓堂にある「盗品本尊」

そして、日寛上人に黙って作ったカラーコピーした掛け軸。

つまり、本尊から教義・化義に亘る全てが

日蓮大聖人とはなんの縁もゆかりもない

バッタもん。だけである。

本尊が「バッタもん」である以上

その信心もまた「バッタもん」なのである。

そんな「バッタもん」を本物と偽って広めようとしているのが今の創価である。

なので、詳しい説明は何ひとつできない。

もともとが「バッタもん」なのだから、詳しく説明するとボロがでる。

だから、最後は「恐喝」「恫喝」「泣き落とし」「詐欺」でしか

創価を広めることができないのだろう。

もちろん、「大御本尊に信を取れば」創価の本尊でも

本有の尊形を顕すと俺は思っているが

そもそも「大御本尊に信」を取ってる学会員は

そんな「恫喝」まがいの「折伏」なんてしないし

何より「大御本尊に信」をとっている学会員ならば

最初っから自分の友人・知人・家族を

創価に入会させようなんて事は微塵も考えない。

創価の謗法を知っているから

そんな馬鹿なことはしない。

ともあれ、りこさんのコメントにあるような出来事は

決してレアケースでなく

むしろ「ある・ある」だからタチ悪い。

実の親が彼女だけだなく自分の子供までも、

まるで創価拡大の持ち駒のひとつのように扱うのだから

恐るべき創価脳バリ活である。

こんな人格を作り上げてしまう創価って・・・

それにしてもいくら邪教であっても、

もう少しくらい「仏法らしい」ことを言えないのだろうか?

まぁ、多分彼らには無理だろうな。

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