創価ダメだしブログ

創価・顕正、その他異流義破折と日蓮大聖人の仏法を正しく伝えるブログです。日蓮正宗への勧誘サイトではありません。

やらなくたって分かるっしょ。

創価を批判していると

活動家から決まって言われるのが

創価学会の活動もしていないくせに何がわかる」

創価学会の組織にキチンとついてから言え」

みたいな言葉。

「やらない奴は文句を言う資格はない」

的なロジック。

なんとなく正論を言っているように聞こえるんだけど

このロジックてのは、あくまでも一般論であって

創価の活動には当てはまらない。

創価の活動は「やらなくても分かる」から。

高いビルから飛び降りたら死んでしまう。

「オレオレ」って電話で振り込んだら騙される。

不倫をしたらすぐバレる。

世の中には「やらなくても分かること」はたくさんある。

創価の活動も同じ。

今の創価が謗法であることは明らかなのだから

あえて、やる必要などないのだ。

それを、飛び降りてみなきゃわからない。とか

振り込んでみなきゃわからない。とか

不倫をしてみなきゃわからない。

なんて言う方がどうかしている。

創価の言うとおりに活動をして

創価の言うとおりの信心をしたら

無間地獄に行くのは

スカイツリーの頂上から飛び降りたら死んじゃう

ってくらいにやらなくても結果がわかる。

だってそうでしょう?

大聖人の色心二法の当体である

大御本尊を受持の対象から外し

大御本尊は大聖人の出世の本懐ではない。

と言い放ち

更には、自分達の拝んでいる本尊を書写した

日寛上人のご指南も否定する。

仏教教団を喧伝しながら

三宝を否定したと思ったら

何をトチ狂ったのか、池田センセを永遠の指導者って・・・

三宝否定の張本人を指導者にしてるんだもの。

誹謗正法が無間地獄なのは、

いくらでも御書に書いてある。

なのにそうした文証を読もうとしないで

池田センセの指導を根本にしちゃっているのが創価活動家。

池田センセの指導に切り文の文証を合わせちゃう。

本当は文証をもって池田センセの指導を読むのが仏法。

文証と合わせれば、いかに池田センセの

指導がデタラメかってわかるはずなの。

「文証」に明らかなことに

池田センセの指導なんて必要ないんだよ。

それが「文証の文証たる所以」なんだよ。

◆汝が不審逆なり釈を引かん時こそ経論はいかにとは不審せられたれ経文に分明ならば釈を尋ぬべからず(撰時抄)

先日も書いたが、創価は「弘安二年の本尊も本門本尊」と言っている

その「本門本尊」を信受しないと言っている。

その「本門本尊」は出世の本懐でないと言っている。

それが謗法でなくて何なのか?

どこからどう聞いても謗法であることは明らかだ。

ほらね、創価の活動なんてしなくても

創価が謗法である。なんて分かるっしょ。

むしろ、創価の組織で

創価の活動なんかしているから

こんな、明らかな事すら分からなくなるんだよ。

「そこから飛び降りたら死にますよ」

「それを振り込んじゃダメですよ」

「不倫はやめたほうがいいですよ」

コレって、文句でも批判でもない。

心配して忠告しているだけだよ。

創価で活動したら無間地獄ですよ」

って注意喚起を促しているだけ。

まぁ、聞く耳持たづの活動家さんが大半だが

それでもこうして言い続ければ

言わないよりも多少はマシかと思っているんだけどね。

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