◆大難の来れるは真言は国をほろぼす念仏は無間地獄禅は天魔の所為律僧は国賊との給うゆへなり(諌暁八幡抄)
四箇の格言だ。
いうまでもなく大聖人はこの四箇の格言をもって
身命に及ぶ大難を偲ばれ法体の折伏をされた。
その四箇の格言を大作センセが否定して久しい。
いわく
※ 四箇の格言を、大聖人が唱えられたものだからと言って、
人々の心を無視し、時代の変化を無視して、ただ繰り返し唱えても、
かえって大聖人の御心に背くことになりかねない。
それではドグマ(教条)になってしまう。宗教の魔性は、
そういうところに現れてくるからです。
だと。お得意の「時代の変化」と「人々の心」で仏法は変化する。という大作教学だ。
鎌倉時代と現代と時代が違うよ。なんて利口ぶっていっているが
同じ末法なのであるから「人々の心」すなわち「機根」も同じ本未有善。
時代も機根も同じであるのだから、当然法体も同じ。
流布の方法も同じ折伏。なのである。
四箇の格言を「ドグマ」と捉えること自体がすでに大聖人を愚弄する発言であり
大作センセが大聖人仏法を理解していないかあるいは信じていないかの
はたまたその両方(この可能性が大)なのである。
そんな、無智で無信心の大作センセが「使えない」といった四箇の格言だが、
現代でもしっかりと生きた格言である。
創価無間。
捨てよ・閉じよ・擲てと騒ぎ立てる様は念仏と同じ。
創価天魔。
創価の御書の文証によらない大聖人直結などという仏法の附属を無視した主張。
そして自分が本尊などという妄想はまさに禅宗と同じ。
創価亡国。
創価はご本仏たる大聖人(大御本尊)を捨て創価仏などという架空仏を立てる。
本来の主たるご本仏を捨て架空仏をたてるのは真言と同じ。
本来の大聖人仏法とは無関係な、選挙や新聞啓蒙などを修行と称する戒律(ルール)をやらせようとする。
また世界平和などという名目で権力者と癒着するすのは律宗と同じ。
どうよ。十分使えるだろ。
時代が変わろうが人々の生活が変わろうが科学が進歩しようが
謗法邪教の人間・組織がやることはかわらないのである。
大御本尊を捨て誹謗し、一人血脈を否定する。
創価が生まれる遥か昔から大聖人の御在世よりずっと繰り返されきたことであり
その都度、大聖人と真実の日興門下の僧俗に破折され続けた来たのである。
そして現代。創価学会という鎌倉時代の4邪教が全て合体した謗法団体が誕生した。
そんな創価が「四箇の格言」を使えないのは
自分達が「いわれる立場」「破折される立場」だからだ。
日寛上人は
◇常に心に折伏を忘れて四箇の名言を思わずんば、心が謗法になるなり
とご指導されている。
故に日興門流は心に常に止めておこう。