創価ダメだしブログ

創価・顕正、その他異流義破折と日蓮大聖人の仏法を正しく伝えるブログです。日蓮正宗への勧誘サイトではありません。

miuさんのコメントへ(池田名誉会長の事)

少し前にmiuさんから

>どうしても管理人様にお尋ねしたい事が有ります。

創価学会の池田先生の事をどう思っておられるのですか?

とのコメントをいただきました。

池田名誉会長についていまさらだが思っているところを書きます。

池田名誉会長。通称池田センセ。

「人生の師匠」と思っている学会員さんもいるだろけど

俺は実は一度も「人生の師匠」いや「師匠」と心の底から思ったことはない。

創価に入会したのも創価の活動はしたのも

別に池田センセの考えに共感した訳でもないし、

当然池田センセと会ったことも話したこともハガキの1枚もらったこともない。

ある意味で言えば俺の人生には特にいてもいなくても存在。

創価学会の中で一番偉い人。それくらいの認識かな。

もちろん初心の頃は池田センセのスピーチや御書講義を読んで学んだが

その講義やスピーチがとてつもなく凄い内容でないことは

行学が進んでくるとわかるようなる。

そうなるとまぁ創価活動家の象徴という地位というくらいだろう。

実際「池田先生は我が人生の師匠」と心の底から思っている活動家は

今現在はそれほど多くないと思う。

なんとなく「師匠」と言わないといけない雰囲気が組織にあるから

一応「師匠」と言っておかないと組織に居づらくなるから言っておこう。みたいな。

miuさんは、家族も顧みず創価のために尽くしてきたセンセの人生が尊い

と思っているかもしれないが

俺はその意見には全く頷けない。

何故なら創価の組織のことをするのは池田センセの仕事だから。

しかもセンセはその仕事が好きで好きで仕方なかったフシがある。

会社(創価)の経費で日本中。いや海外にまで行けて

行った先々では「先生。先生」と歓迎され

あとは小説や詩を書いたり写真撮ったり

ある意味、何等生産性を伴わないことが仕事になり

経済的に恵まれる。

また一般の仕事よりもはるかにストレスも少ない。

そんな仕事なら楽しくて家で嫁や子供の面倒見ているより

毎日仕事していたい。と俺なら思う。

それに子供だって作っているのだから全く家庭を顧みなかったことでもないし。

また

>これだけの組織の仕組、学会員の人望を集めた事は、素晴らしいと思います。

>もし、学会員は洗脳されてると思ってらっしゃるなら、それも実力だと思います。

とのご意見だが、俺は「人望を集めること」は必ずしも素晴らしいとは思わない。

ヒトラーだって、提婆達多だって、極楽寺良観だって

「人望」を集めた。

それが素晴らしいならば、大聖人より極楽寺良観の方が素晴らしい。

ということになる。

もちろんそのカリスマ性は大いに認めるところでもあるし

人心操縦や人心掌握に長けているのだと思う

それは「人としての魅力」を持ち合わせているからだとも思う。

なので、人間としては「魅力的」な人物なのは間違いない。

何らかの魅力がなければ人は洗脳されない。

それを「実力」と表現するならば

間違いなく「実力」だろう。

ただし、それは世法の範疇の話。

大聖人仏法の眼で池田センセを見れば、

その「実力」は大聖人仏法を大いに破壊し

「天魔」「外道」等といくら言ってもいい足りないくらいくらいだ。

その悪業は極楽寺良観すら凌ぐ。

なぜなら池田センセは「大聖人の弟子」と名乗りながら

大聖人仏法を破壊しているからだ。

まさに五老僧全員が

池田センセ一人となって生まれ変わり

大聖人(大御本尊)を否定し

多くの弟子旦那の成仏を阻み無間地獄へと誘っている。

池田センセが民間会社の社長だったら

「癖はあるが魅力のある社長」でよかったのだと思う。

民間企業の社長であれな人身操縦を含め商才があればそれでいい。

だが「宗教家」「宗教団体の指導者」としては失格だろう。

なぜなら池田センセには肝心な「信心」がない。

「信心」がないから大御本尊を捨てることができる。

その本性は御書に照らせば

臆病者で求道心がなく欲深い人間。

それが池田センセの本性だと俺は思っている。

そのような人間を「人生の師匠」だの

広宣流布の指導者」だの思える会員さんが不思議でたまらない。

そしてそんなことを言っている会員さんは本当の弟子ではないと思う。

俺はこうして池田センセのことを悪し様に書くが

俺はそれが池田センセや創価に対する恩返しだと思っている。

創価があったからこそ俺は大聖人仏法に縁することができた。

これは事実である。

創価以外。例えば正宗のご僧侶や法華講員に折伏されたことは一度もない。

創価がなければ大聖人仏法を知らないまま今でも過ごしているかもしれない。

それに対しての恩義は忘れていない。

だからこそ、謗法と化した創価と池田センセを責めるのである。

かつて池田センセは言った。

「悪を責め抜くことで相手を成仏させる。それが慈悲なのだ」と。

このままでは池田センセは間違いなく無間地獄行きだ。

本当の弟子ならば師匠の間違いを正さないといけない。

本当の弟子ならば師匠の悪を責めなければいけない。

それが唯一「天魔」と化した師匠・池田センセを救う道であり

創価への報恩じゃないのか?

俺はそう思う。

質問内容から逸れてしまったが

今の池田センセは「仏敵」

俺はそう思っている。

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