創価ダメだしブログ

創価・顕正、その他異流義破折と日蓮大聖人の仏法を正しく伝えるブログです。日蓮正宗への勧誘サイトではありません。

「僧侶は死ね」とでも?

今日はお彼岸の中日。

関東地方は暖かく絶好のお墓参り日和だった。

わが母は今年は塔婆供養ができるようになり

菩提寺で喜んで塔婆供養をしてもらったと言っていた。

創価では塔婆は不要って言われておしまいだから

母も塔婆供養がすることができて良かったと思う。

創価の「塔婆不要論」ついてはさておき

創価では「塔婆供養」をはじめ

葬儀も戒名も法事も、

なんでもかんでも「坊主の金儲けの手段」といって糾弾する。

なんですかね?この糾弾の仕方は?

僧侶がお金をもらってはいけないのか?

僧侶はボランティアなのか?

いくら徳を積んだ僧侶でも生身の人間である以上

カスミを食って生きていけない。

その僧侶が対価をもらえる行為はかなり限定的でそんなに選択肢はない。

前述した、「塔婆」「葬儀」「法事」

それに墓苑でも自前で持っていればその管理費。

それらは創価活動家からすれば

全部「金儲け」だから「全部悪」という事になる。

もちろん、神社や神主だって同じで

地鎮祭だのおみくじや破魔矢・お守りに絵馬などなど

全部「金儲けの手段」で「悪」である。

創価バリ活は神社なんて端から行かないだろうが)

僧侶や神主がもらっていいのはどんな名目の金銭なんだろ。

多分もらっていいお金なんてないんじゃないか?

だとしたら創価は「僧侶は死ね」と言ってるのと同じである。

俺の知り合いのある寺の二代目は

自分の寺に檀徒がほとんどいなくなり

いまでは同列の他の寺院にアルバイトに行っているが

なんともやりきれない気分とともに

これが「末法」ってやつなのかなとも思う。

そういう反面で、そうかの連中は

自分たちは「金儲け」をしてるわけだ。

しかも、塔婆や葬儀・法事という仏事よりも

さらに仏教の本義に関係ない事で「金儲け」をしてるのだ。

聖教新聞だの大作センセの書籍だの民音だの

そして財務というの名の、

寄付とも会費ともわからない名目不明の集金をする。

僧侶は「塔婆」もダメだけど

在家なら「なんでもOK」って

一体どういう理屈でそうなるんですかね。

創価が税金でも払っているってんだったまだしも

正宗も創価も同じ「宗教団体」じゃない。

「金儲けの手段」って・・・お前らの方がもっとヒデェじゃん。

「在家」の教団が肥えて在家の職業宗教家が贅沢して

僧侶には「質素」とか「清貧」を要求する。

僧も俗も同じ。って言っているくせに

創価って奴らってのはとんでもないね。

今回、母が塔婆供養して思ったんだけど

正宗の塔婆供養って本当に安いよ。

母の今回の塔婆供養は2000円だったそうだ。

因みに嫁の実家の菩提寺曹洞宗の寺は

塔婆1本8000円らしい。

また友人の実家は天台宗の寺らしいがこちらは

塔婆1本6000円だそうだ。

俺もいままで「塔婆供養」の値段は知らなかったが

他宗と比べると正宗の塔婆供養の金額は破格だと思う。

2000円っていう金額を他のモノに換算すると・・・

そう。あれだ。

聖教新聞1カ月の購読料とほぼ同じ金額だ。

春秋のお彼岸にお盆、そして両親の祥月命日に塔婆をたてても

年間5回で1万円。

聖教新聞は1年購読すると約24000円。

これで「坊主丸儲け」などと創価にいわれちゃうんだから

正宗のご僧侶もご苦労な事である。

むしろ「創価丸儲け」と言いたくなると思う。

まぁ、お金の価値観はひとそれぞれだが

個人的には、ゴミにしかならい創価の社内報を1年購読するなら

お彼岸やお盆に塔婆を立て方が気持ちがいいと思う。

母のスッキリ感も理解できる。

創価としたら「坊主はカスミでもくらってやがれ。ダメだなら死しまえ」

って事なんだろうけどね。

だって「僧侶」は創価の商売敵だから。

とくに日蓮正宗は。

正宗から僧侶がいなくなれば

自分たちがますます儲かるからな。

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