創価ダメだしブログ

創価・顕正、その他異流義破折と日蓮大聖人の仏法を正しく伝えるブログです。日蓮正宗への勧誘サイトではありません。

8月は『財務』狙いの創価幹部がウロウロ。要注意!

そろそろお盆休みも近くなってきた。所属寺院に塔婆も申し込みも済ませ墓参準備も整い後は自宅の仏壇をお盆仕様に荘厳するだけだ。さてお盆が近くなると創価は正宗への御供養へ対する誹謗をするのが定番である。わざわざ聖教の寸鉄に、『お盆の供養狙い日顕宗坊主がウロウロ。謗法への布施は堕地獄。追い払え』などと書くほどである。見てきたような嘘を書く聖教新聞らしいコラムである。御供養の催促に正宗の御僧侶がウロウロしている姿など見たことがない。むしろお盆時期にウロウロしているのは創価幹部達である。目的は年末の『財務』へ参加する広布部員(財務をする会員)を増やすことである。そしてこれまた御多分に漏れず強制ではないが目標がある。どんな目標かといえば例えば【ブロック+1】つまりひとつのブロック(創価組織内で最小単位のエリア)で昨年実績よりも広布部員を一人増やす。というような目標だ。当然、進捗状況を報告する義務もあるから最前線の三下幹部はブロック内をウロウロしなければならないくなる。さて、御供養については戸田会長は質問会で、

※金のないのに出す必要はないぞ。そんなことで金を出してもろうては、わしは困る。貧乏人からまで金をもらってやるわけにはいかん。(中略)供養というものは、そんな苦しければやらなきゃいい。楽しんでやるようでなければ供養になりません。だから、そんな苦しければ、ご供養なんかやめなさい! これはわしの命令だ! するな! しないでよろしい!(中略)心に少しの負担を感ずる者はご供養はしては相成りません。功徳にならないから。

と正しい御供養の精神を指導しているが、これが池田時代になると、創価の大幹部である故柏原ヤスは次のような有名な指導をしている。(赤字は柏原ヤスの指導)

※私たちの御供養の精神というのは、そうゆうのを言うのよ。このごろは、なまじっか、生活ががよくなったから、給料から、7月は、いくら削ろうか?貰うボーナスの内のいくらを出そうか?やっと貯めた貯金のいくら、おろそうか?まるで削りとられるみたいな、7月は追いはぎがくるゾーッ。

※なまじっか、あるから、ねー。そーでしょ、生活が豊かになるから、そうゆうふうに、返って、みみっちくなるのよ。

※昔から、ちっとも変わりません。ねッ。お金なんかいらないんだ。だれが、金なんか、貰うか!バカ馬鹿しい!!そーじゃないの! 世界広布には、お金がかかる!いるんです!だから、出せ!!!つーのッ! 出せッ!出せッ!!・・出せ!!!ねーッ。(略)私は、そー言います。出しなさい!ねーッ。だから、社長さんの奥さんに何言ってんだ!出せッ!!言ったんですよ。 ねーッ。あんた、いくらやってんんの!?あんたハッキリ言えないんだったら、私が言ってあげる。今度の広布基金は100万出しなさいよ!!皆の前で言っておくから。ねッ。婦人部長は、ちゃんと、100万、取りに行って!

自分で創価の財務を「追い剝ぎ」と認め、「100万出せ」と金額まで細かく学会員に指導くださっています。(笑)ええ、決して強制でもノルマでもありません。目標達成のために大幹部の柏原ヤス氏がこのように指導しているだけです。大幹部が会合でこのような指導をしても決して同調圧力なんてないのでしょう。この指導された社長さんも快く100万円を拠出したこでしょう。さて創価公式には創価学会の財務は、信仰上の自発的な御供養・寄付を募るお知らせと実施に至る行事といえます】と明記されている。創価幹部が会員宅に戸別訪問をしているのは、「財務のお知らせ」に回っているだけで、なだめたり賺したり脅したりして無理やり広布部員を増やそうとする行為ではないらしいです。今どき「お知らせに」会員宅を個別で訪問するなんて時代遅れと思うけど。法華講にも盆や彼岸前になると塔婆供養等のお知らせが来くるけど、封書か葉書で御僧侶や法華講幹部が「御供養しませんか?」なんて言いにわざわざ自宅までこないし。(笑)いまならメールやラインで「お知らせ」は出来るしね。なのになんでわざわざこの糞暑い中、財務(広布部員)を求めて創価幹部はウロウロするのかね?財務も財務の目標すらも強制でもなんでもないはずなのにね。(笑)その理由は、「財務に参加して会員さんに功徳を受けて欲しい」というのが一応の大義になってる。「財務をすれば福運がつく」「財務の功徳は一番大きい」なんて言って回っているからね。そこで、「どうして財務すると福運がつくのか?」「どこの誰から功徳をもらえるのか?」って質問して、もしも「日蓮大聖人」とか「御本尊」などという回答が返ってきたらそれは、大聖人仏法の化義化法に反する「ウソ」なので騙されないようにね。前から説明してるけど創価に送金したお金は大聖人の所に届きません。(当然、志も届きません)何故なら大聖人様とは一大秘法の戒壇大御本尊様のことだから、戒壇大御本尊様を捨てた創価員の金銭はおろかその志すら届くわけがないわけ。届かないどころが創価のような謗法からの布施を大聖人は受け取ってくれません。こんなことは当然の道理でしょ。また創価の主張する全ての本尊が等しく大聖人の当体というのが正しいのであれば、正宗の大御本尊はもとより身延や保田・西山などの全ての御本尊にも供養しなければならない理屈になるが創価はビタ一文それらの寺院にある大聖人の御真筆の御本尊に供養していない。(栃木の浄園寺にはしているのだろうか?)だから功徳なんて積めるわけないから当然功徳が出ることはない。そもそも在家信徒には供養を受ける資格はない。もっと言えば、僧侶も含め凡夫に供養は受ける資格はない。供養を受ける資格があるのは仏様だけなんだよ。これは仏教の常識。正宗の御僧侶は供養を受け取っているのではなく御本仏に取り次いでいるだけ。だから法華講には御供養の金額も参加人数も目標なんてないわけだ。「私は今日これだけ御供養しました」なんて報告する必要もない。(笑)もとより、創価財務は福運もつかなきゃ功徳もでないことを承知の上で創価学会仏という架空仏を信じて喜んで財務するなら結構なことである。壺やペンダントだって本人がそれでご利益が有ると思っているなら家族に反対されない程度に好きに購入してもいいと思う。だた訪問販売よろしく家庭訪問して「広布部員になると功徳が大きい」などと吹いて回るのは大聖人仏法詐欺というものである。「心に少しでも負担があれば御供養しない。」といのが戸田会長の指導であり大聖人への御供養の精神である。下記の太字記述は過去の創価学会の財務にまつわるトラブル報道の一部である。このようになる前に戸田会長の指導を噛みしめてもらいたと願っている。

▶昭和58年4月22日号の「週刊朝日」のグラビアには、東京都住宅局が管理する都営住宅から夜逃げした人々が置き去りにしていった仏壇7個のうち4個までが鶴丸付きの創価学会員のものであることが報じられている

▶母子無理心中事件。横浜市で昭和57年に起こった母親が娘を絞殺後、自らも首を吊って死亡した事件は夫が「財務」の重要性を理解しないため、「財務」ができないことを苦にしての悲劇だった。

▶夫放火による母子焼死事件。昭和64年、茨城県鹿嶋市で夫が自宅に放火。妻子が焼死したが事件の遠因は、有り金すべて「財務」に寄付する妻に抗しきれず、人生に絶望して放火したと供述している。

▶妻刺傷、焼身無理心中未遂事件。学会活動にのめり込むだけでなく、貯金をすべて「財務」に指し出す妻に腹を立てた夫が、妻を刺し殺し、自らも焼身自殺を図ろうとしたが、殺しきれず、死にきれなかった。

▶平成元年5月、千葉県船橋市のの熱心な創価学会員・00綾子さんと長男の00君が同じく創価学会員である夫の000に殺された。バラバラにされた死体が聖教新聞に包まれ、シキミとともに長野県の山中に捨てられていた。動機は生活苦であった。「財務」ゆえに貯金が全くなかったのである。

こうした創価のやり過ぎた財務に対し正宗は『破門通告書』のなかで、

毎年行なわれる財務では、多額の寄付を集めて、実際に本宗信徒の生活を苦しめ、窮地に追いやっている事例も少なくありません。

と指摘しています。なにはともあれ、『年末の財務狙い創価幹部がウロウロ。謗法への布施は堕地獄。追い払え』(笑)

 

 

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