創価ダメだしブログ

創価・顕正、その他異流義破折と日蓮大聖人の仏法を正しく伝えるブログです。日蓮正宗への勧誘サイトではありません。

嘘つき創価は今年も塔婆供養を会員にさせないらしい。

春のお彼岸ということで今年もまた塔婆供養をしてきた。塔婆供養については昨年も書いたが大聖人が塔婆供養には功徳があると言われている。

⇒ 春のお彼岸なのでまた塔婆供養の話を。 - 創価ダメだしブログ

さて創価では今年もまた会員さんが寺を恋しくならないように塔婆供養なんていらないと聖教で会員を洗脳している。

曰く(太字は聖教新聞より引用)【学会員は、毎日の勤行・唱題で、故人に対して追善回向を行っている。いわば、毎日が「常彼岸」であり、自らが行じゆく功徳を、先祖や故人に回らし向けている】からわざわざ塔婆を立てなくていいらしい。「学会員は云々」と偉そうに言っているが、そもそも毎日の勤行・唱題で故人に追善回向することを学会員に教えたやったのは正宗である。あたかも自分達の専売特許のように言うのは片腹痛い。しかも今や方便自我偈1座のインチキ勤行の創価が「毎日の勤行で追善回向」とは両腹イタイというものでる。毎日の勤行・唱題そして追善回向なんて法華講だってやっている。創価と違ってちゃんと五座の御観念文を読んでいる。それでも法華講員に塔婆供養をする人がいるのは法門法義もさることながら故人に対する「思い」からだ。例えば自分の嫁をたまには旅行にでも連れて行ってあげよう。とか自分の親や子供にたまには美味しいものを食べさせたいとか普通の人間なら誰でも思うはずだ。嫁に「別に自宅でゆっくりしててもいいよ」とか、親に「自分の家のご飯で満足だよ」と言われても、たまには喜んでもらえることをするのはそこに「思い」があるからだ。塔婆供養というのはいわば故人にとっての年に数度の「贅沢」なのである。日々の追善回向が「家メシ」「家ノミ」ならば塔婆供養というのは外食・外飲みに連れて行ってあげるようなものなのである。「毎日家でメシ食わせているのだからそれでいい」と創価の連中は思っているのだろうが(しかもインチキ勤行だから粗食ばかり)仏法者というのであれば年に1回くらい故人に対していつもとは違う供養をしてもいいのではないと思う。いやそう思えない方が俺には不思議だ。

でもそれはもう個人の自由だから塔婆供養をしないことに対しどうこう言いたいわけではない。だがウソを書くのは宜しくないだろう。

▼“塔婆を立てないと追善回向できない”などと主張しているのが、日顕宗(日蓮正宗)である

まづこれが大嘘。塔婆を立てなければ追善回向ができない。などと正宗のいったい誰が言ったのか?こんなこと正宗では全く言ってない。塔婆を立てるも立てないも信徒の自由であり塔婆を立てなければ追善回向できないなどという話は誰からも聞いたことがない。誰も正宗のことを知らないからといってこういう大嘘を平気で言うのが創価である。

▼これらは御書のどこにも書かれていない邪義にほかならない。

そして大嘘を前提に邪義というこの創価論法。邪義も何も「塔婆を立てないと追善回向できない」と主張するご僧侶なんて存在しないわけでこういうデッチ上げ論法ばかり使うのはいい加減やめたらどうかと思う。それに塔婆を立てなければ追善回向できないと御書には書いてないが塔婆を立てれば功徳があるということは御書に書かれてる。そもことは昨年の記事をよんでもらえばわかるだろう。

日顕宗への供養は、全て「謗法への布施」となり、かえって自身が悪業を積むことになることは、御聖訓に照らして明白である。

そして「こう」だ。そもそも創価が正宗を謗法とする根拠こそ文証が何一つない。リアルでもネットでも本ブログに乗り込んできた創価民も誰一人として正宗の謗法を論証できたヤツはいない。御聖訓に照らせば俺がいつも書くように大御本尊を自ら捨て会員にも捨てされる創価が謗法なのある。よって創価への有形無形の布施こそ自ら悪行を積む行為なのである。更に法門法義の上から論じれば先ほど引用した

▼自らが行じゆく功徳を、先祖や故人に回らし向けている

これこそが最大の間違いである。そもそも「功徳」とは「信力」「行力」だけでは生まれないのである。「仏力」「法力」があって四力が冥合して「功徳」は生まれるのでる。その「仏力」「法力」の源である大御本尊を捨てた創価の連中の「行じる」「学会活動」なるインチキ活動に功徳が生まれる道理はない。よって毎日追善回向をしたとしても全く故人に対する追善回向などにならないのである。

しかも、こいつらときたら

▼学会は「随方毘尼」(仏法の本義にたがわない限り、地域の習俗や時代の風俗に従うべきであるという考え)の観点から、春と秋の彼岸を一つの節目に、追善法要を行ってきた。

こんな気持ちで彼岸の法要をしているらしい。「風習だから」法要をするってのはそこには故人に対する思いも何もない単なる年中行事ってことだ。そんな気持ちで催す追善法要こそ全く無意味で故人を小馬鹿にしたことはないだろう。

さっきも書いたが創価本部や活動家、そして大作が塔婆供養を不要だと思うことはどうでもいい。だだ大聖人が塔婆供養を否定しているかのごとく嘘をつき。正宗が塔婆供養を強制してるかのごとく嘘をつくことは許せるものではない。そしてそのような嘘をついて故人を思う会員さんの「思い」まで奪うことはもっと許されない。学会員さんにはハッキリと言っておく。大聖人は塔婆供養に功徳があると明言している。正宗は「塔婆を立てないと追善回向できない」などと言わない。創価では故人への追善供養はできない。これが事実であり大聖人仏法の本義です。正宗ではわずか聖教新聞1ヶ月分で故人が喜ぶ孝行ができるのです。夏のお盆か秋のお彼岸には亡くなられた愛する身内の為に塔婆を立てて供養してみませんか?きっと心が晴れやかになると思いますよ。まぁその為には正宗に戻るようですがきっとその方が故人の方々も喜ぶと思いますよ。

 


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