創価ダメだしブログ

創価・顕正、その他異流義破折と日蓮大聖人の仏法を正しく伝えるブログです。日蓮正宗への勧誘サイトではありません。

宗教団体の本分と社会貢献

創価学会はカルト宗教にありがちな、やたらと平和・文化や教育活動を強調し災害があると意味もない対策本部などを立てて社会貢献をアピールします。創価の場合は全て選挙の為のポーズですが、創価学会に限らず近年の新宗教伝統宗教などもこの流れに乗っている感があり、世間の方でもそのような社会活動・慈善活動をするのが宗教団体としての責務であるかの如く思っている風潮があります。平和・文化・教育活動、或いは被災地や社会的弱者への救援などの社会貢献は宗教団体として大切な活動に違いないですが、そうした活動は宗教団体の本分ではありません。それらの活動は社会事業であり慈善事業です。そのような社会事業は国や行政、あるいはNPO団体が率先してするべきことであって宗教団体が社会事業をメインにしてそれを宣伝するのは宗教団体の本分から外れています。例えば災害被災地に対して飲食物などの物資を供給したり復旧復興をするのは行政やボランティア団体がすべきことで、宗教団体や宗教家がメインにするべきことは被災地・被災者のことを祈ることなのです。東日本大震災の時に被災地を読経しながら歩いた禅宗の僧侶が話題になりましたが、被災者に「そんな無駄なことをしていないで袈裟衣を脱いでボランティアでもしたら」と言わたそうです。それでもその僧侶は150kmの道程を読経しながら歩きました。それ本来の宗教者の姿であり本分ですす。周囲はそんなことしている暇があったら瓦礫のひとつも片付けろ言うかもしれませんがそれは違います。そのような批判は理解できない事ではないですが、一方で日本人は宗教心を失っしまったと残念な気持ちにもなります。宗教団体の本分とは「求法と弘法」なのです。どちらも「ぐほう」と読みますが「求法」は自身が神仏を求めることで、「弘法」は自身の信じている神仏の教えを広める事です。それが宗教の目的なのです。その本分をなおざりにして平和・文化、慈善活動などの社会貢献をしても宗教団体としての意義はありません。「求法と弘法」を中心に据えた上での平和・文化・慈善事業、社会貢献でなければ宗教団体とは言えないのです。物理的・物質的ではなく精神的に社会貢献しその上で各宗派の僧俗ができる範囲で社会に貢献していくことが宗教団体の社会的貢献なのです。それを社会が理解していれば前述の僧侶の行動に対する批判は起こらないのです。宗教(団体)に対する間違った理解が日本社会に蔓延したのは、明治維新と戦後の創価学会等の在家主体の新宗教の拡大がその背景にあると思います。人々から正しい信仰心が失われその結果日本は格差社会であり経済優先社会になり、無慈悲な政治家やエリートに庶民は苦しめられている。こんな時代だからこそ日本人に再び正しい宗教心が戻ることを期待せずにいられません。それが日本国再生への鍵だと感じる今日この頃です。

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