そういう自分達はどうなのさ?っていうと先日記事にも書いたが、
すっかり大作センセの唯受一人の口伝を信用しているというのだから笑わせる。
上記の記事に書いた「追撃の手を緩めるな」という戸田会長の遺言は、
大作センセ以外は誰も聞いていない正しく「唯受一人の口伝」である。
それ以外にも大作センセは、「私と戸田先生が二人の時にこう言われた」とよく言うけど
本当にそんな話が戸田会長から有ったのかは甚だ疑問だ。
創価で活動を始めたことは、「池田先生は戸田先生の不二の弟子なんだぁ」と思ったが(だから?とも思ったけど)
本館等のスピーチで「私一人だけが戸田先生の不二の弟子である」みたいなことをいっつも言ってて、
毎回自分で自分を「唯一の不二の弟子」ってアピールしなくてもいいのにと心の中で思っていた。
(あと、私が全部やりました的の話もぶっちゃけウザかった)
それから月日が流れ、自分に教学力もついてきたり、戸田会長の指導を直接読んだりしているうちに
どうも大作センセが戸田会長の不二の弟子であるというのは、
大作センセの自己申告で実際は戸田会長の不二の弟子ではないと思い始めてきた。
初めてそう思ったのは、大作センセの大御本尊を「ただのモノだからいつかなくなっちゃう」と発言した時だ。
これは明らかに戸田会長の指導と違うと確信した。
その頃はすでに日寛上人の六巻抄や文段を研鑽していた俺にとっては、
戸田会長の指導は常に大御本尊を中心にし会員に大御本尊への信を説くものであった。
さらに詳しくいうと戸田会長の指導は日蓮大聖人(大御本尊)という、仏(人)に重点が置かれているが
しかし大作センセの指導や講義は、日蓮大聖人という仏ではなく法に偏っているのだ。
南無妙法蓮華経とは「宇宙の法則」「宇宙のリズム」これは少し違うと活動家時代からそう思っていた。
事の一念三千と理の一念三千との違いくらい、戸田会長の指導と大作センセの指導の内容が違う。
不二の師弟なのに、何故こんなにも戸田会長と大作センセの法門法義に関する理解力が違うのだろうか。
大作センセの大聖人仏法に関する理解力は戸田会長に遠く及ばないのである。
法門法義への理解力だけではない。戸田城聖全集や戸田会長の当時の発言に、
良くも悪くも池田大作という名前はほとんど登場しない。
大作センセ自慢の蒲田や大阪の未曽有の戦いの時も大作センセを褒めたたえる戸田会長の言葉は見つからない。
よく大作センセは戸田先生は厳しくて自分の事を褒めてくれなかったと言っているが、
褒めたたえなくても慰労の言葉くらいあってもよさそうなものであるがそうした事は見つからなかった。
戸田会長のご遺族である戸田会長の奥様(故人)は生前に大作センセを厳しく批判している。
また戸田会長の奥様の葬儀には「不二の弟子」は欠礼している。
創価民の見立てでは正宗を破門になり参列できない理由があったということらしいが、
当時の秋谷会長は参列しているのに大作センセが欠礼しているのはいかにもオカシナ話である。
「唯一の不二の弟子」を吹聴しているのに、不二の師匠の奥様の葬儀にも出ないとは「人の振る舞い」としてどうかと思う。
因みに戸田会長の墓は大石寺にあるが不二の弟子が破門後戸田会長の墓参をした形跡もない。
他にも大作センセが戸田会長の不二の弟子とは思えない理由はたくさんあるが、
やはり一番の理由は最初に戻るが大聖人仏法に関しての見解があまりにも違いすぎるのが一番である。
あまりにも師匠である戸田会長との指導との間に齟齬が多すぎるのである。
大御本尊を受持の対象にしない。という決定をするに至っては齟齬というよりも「師敵対」と言っても過言ではない。
こういうと今の創価民は今度は「戸田先生の宗門の悪を知っていた」とか、
酷い奴になると「戸田先生も大御本尊を後世の偽作だと知っていた」とか言い出し、
大作センセもその話を戸田会長から聞かされていたが僧俗和合の為に言わなかったなんて言い出す。
なんとか大作センセを戸田会長の不二の弟子にするために、
戸田会長までも大作センセと同じ謗法者に仕立て上げと言うのだから、なんとも恐ろしい弟子共である。
でも流石に創価民のそのロジックには無理がありすぎる。
戸田会長の指導や講演に触れれば、戸田会長が戒壇大御本尊を信仰していたことは明らかである。
現証として戸田家はいまもって日蓮正宗の信者ではないか。
寧ろ大作センセが戸田会長の「不二の弟子」ではなかった。と解釈する方が自然だろう。
実際に冒頭に書いたように「戸田の唯一の不二の弟子」というのは大作センセの自己申告で、
戸田会長本人から大作センセを自分の後継者として指名した事実はない。
例の「エレベーター相承」なるものも上りのエレベーターの中か下りのエレベーターの中かハッキリしないし、
もし本当に戸田会長から後継指名があったとしたら何故2年間も会長不在だったのか。
大作センセによれば、3代会長に就任したのは学会首脳の再三再四の懇請があったからだそうだが、
師匠・戸田会長が後継指名したのであれば再三再四の懇請を受けずとも、再三再四の懇請を受けるまで固辞しなくても
戸田会長の意思を継ぎもっと早く会長に就任したはずだし、そうすべきだっただろう。
しかし2年も会長職を空席にしていたのは戸田会長の3回忌を待ったのだろうか。
だとすると学会首脳の再三再四の懇願という行為はおかしなはなしになる。
そうした諸々の事を冷静に考えてみれば、大作センセが戸田会長の「不二の弟子」ということは考えられないのである。
まぁいずれにせよ創価民がどう妄想してもどんな詭弁を弄しても、
現在の創価学会及び創価民は戸田会長の指導と真逆なことをしているのは事実である。
大作センセは大御本尊すら利用し捨てる人間である。戸田会長も利用し今は捨てたのである。
現在の創価民はまづはそれを認めることが大切だと思う。
その上で大作センセの弟子として、大御本尊も戸田会長も捨て去って
「池田教」「創価教」に励めばそれでいいのではないかと思う。
大作センセは偉大なる師匠であり、仏様なのだから
大作センセに「師匠」は不要なのである。
「戸田先生の不二の弟子」なんて言われ
いつまでも創価に名前を利用されている戸田家にとっては迷惑千万この上ない話である。