創価ダメだしブログ

創価・顕正、その他異流義破折と日蓮大聖人の仏法を正しく伝えるブログです。日蓮正宗への勧誘サイトではありません。

直結信心という我儘信仰の創価民。

僧侶を排除し相伝を否定した創価民が言い出したのがご存知「大聖人直結」

創価民は、「直結」が大好きだ。

俺が男子部地区リーダーの頃、新たに引っ越してきた創価民は、学生部上がりで副部長受け入れ。

これは地区に活動家が増えると喜んでいたが、コイツが一向に会合にも参加しない。

家庭訪問でようやく会えて話したら、

「僕は池田先生と直で信心しているので会合に参加しなくてもいい」とのこと。

もう、ポカ~ンですよ。結局コイツは一度も部活に参加することなく2年ほどしたら転居した。

また、部長で派遣にいった支部のある壮年の地区部長は支部長の言う事をほとんどきかない。

なんでも、指導を受ける時は学会本部に直接指導を受けているらしく、

口癖は「私の地区は本部直結で戦っているんですよ」だった。

他にも「池田先生から直接薫陶を受けた」と自慢してた圏男子部長もいたなぁ。

大抵、この手の連中は折伏はおろか新聞啓蒙もできなきゃ組織内の会員さんから嫌われる。

さて、現在「大聖人直結」などと言っている創価民たち。この連中が言う事が全くバラバラである。

大御本尊についても、「後世の贋作」というヤツがいるかと思えば、いまでも「大御本尊が根本」という人まで実に多様である。

また三大秘法が揃うとか揃わないとか言う支部長もいれば、一大秘法は本尊ではなく題目だという男子部もいる。

もちろん、御書の解釈なんてもう各自の勝手でしょ!ってなモンである。

しかもだ「大聖人仏法」に関してだけではなく、自分達の永遠の師匠である大作センセの指導の解釈すら全然違うのである。

たとえば、例の元職員3人組や創価を除名になった元会員さん達は、

「いまの創価執行部は池田先生の思想に反している。池田先生の指導に反している」。と言っているが

当のダーハラ怪鳥達や現役の幹部・バリカツは、そうした批判者の方が大作センセの指導に反しているといって、

お互いにお互いの事を「師敵対」と言ってるわけだ。

指導した本人が出てきてジャッジを下せば問題ないが、どうやらそんな陽気じゃなさそうだ。

実は、これこそが仏法が「唯受一人口決相承」である理由なのである。

「直結信心」なんて耳障りはいいが、結局そんなものは個人が勝手気ままに解釈するということだ。

どんな解釈をしようと「直結」なのだから他人には一切関係ないのである。

どんな解釈をしようが「直結」なのだから誰もその正邪をジャッジできない。

そんなことをしたらどうなるか?当然、大聖人仏法の正義は失われるのである。

つまり「直結信心」を言い出せば仏法は滅びるのである。

「令法久住」の上で「唯受一人面授口決」の相承・相伝は絶対に必要なのであり、

だからこそ大聖人も釈迦も天台も伝教も、およそ仏法を知る者は全て「唯受一人」に相承・相伝をしたのだ。

「直結信心」はイコール仏法破壊の所業なのである。

「直結信心」を謳ってしまえば、ダーハラ怪鳥以下いかなる幹部であっても、

会員さんに対して否定的な指導はできないし、会員さんは幹部に指導なんて受けてはいけない。

それをしたら「直結信心」を否定することになり、大作センセの指導を否定することになる。

創価の会長を信心について何かをジャッジできるとしたらそれは「直結」ではなくなる。

創価の会長はあくまでも「創価内」についてはジャッジできるが、教義についてジャッジすることはできないはずだ。

創価のカラコピ掛け軸本尊に題目を上げていれば、全員もれなく大聖人と直結。

あとは各自が好き勝手に何をどう解釈し何をしようと「その人にとって」それは正しい。

それが「大聖人直結」ということであり、今の創価の信心の在り方なのである。

実に今の創価は愉快で楽しい「信仰倶楽部」ではないか。

自由気ままに自分が勝手に化義や教義を解釈していいのだから。

最早「無信仰」と何が違うのかすら分からない。

だけど、それを「日蓮仏法」とかいうのはやめなさい。という事である。

ともあれまだ永遠の師匠が存命にも関わらず、

創価内では大作センセの指導や思想に関して様々な解釈をする会員が存在しお互いを批判している。

これで大作センセが死んだらもう大作思想なんて有名無実のモノと化すだろう。

なにせ、大作思想の真意が何なのか?をジャッジできる人間がいないのだからいくつも分派するだろう。

唯受一人血脈相承を否定した五老僧と同じだな。

もっとも大作思想なんて創価民以外の世間ではほぼ無価値なのでどうでもいいが。

そんな「直結野郎」たちを横目でみながら、我等日興門流は大聖人仏法の「令法久住」のため

日々、正しい相伝に基づいた信仰を実践していくのみである。

自分勝手な仏道修行なんて仏法には存在しないのだから。


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