創価本部のデッチ上げである「正宗には僧俗差別がる」という話を鵜呑みにして、
創価民達が僧を馬鹿にし軽んじめ、僧侶不要・僧侶排除をして四半世紀が過ぎた。
そもそも一休さんも「ナムサン」と呟くように、南無三宝といって「仏・法・僧」の三宝に対する三帰依は仏教徒としての基本である。
僧侶不要・僧侶排除の創価の教えはおよそ、そのような通途の仏教にもすら反する教えで
これでよく「仏教団体」「仏教信者」を名乗れるのか本当に創価民のオツムを疑うばかりだ。
創価内では実しやかに「正宗の坊主は威張っている」などという話がされているが、
果たして本当に正宗の僧侶に「威張り散らされた」創価民が多数存在するのかとというと実はそうでもないようだ。
多くの破門前からの学会員の証言によると
破門される前から学会員は自身の菩提寺に足繁く通うようなことはなかったらしい、
寺院で何かの行事があるときに「手伝い」をしに行く程度で、寺院へ参詣することはほぼなかったとのこと。その手伝いも末端会員ではなく幹部だけが参加していたに過ぎないらしい。
確かに男子部時代の2世・3世のメンバーに聞いてもお寺にはほとんど行かなかったという発言ばかり を耳にしている。
そもそも寺院に参詣していないのに、「僧俗差別」もへったくれもないだろう。
いわんや「坊主威張り散らされる」なんてことに遭遇するわけがない。
お寺に行っていないのだから、「坊主」と遭遇するわけないのに、
一体どこで「坊主に威張り散らかされる」のか?不思議である。
破門前から創価民ですらそのような状況なのに、破門後の創価民なんか正宗寺院や正宗僧侶と全く接触がないのに
どこで「僧俗差別」を受けたのか?創価の牧口会長は「認識せずに評価をするな」と言っていたが
まさに現在の創価活動家の正宗誹謗は、単に創価のプロパガンダに乗せられて何の認識もなく言っているだけ。
大の大人がするような行動ではない実に恥ずかしい言動だと思うわけだ。
さて、どこかにいるであろう「正宗の威張り散らしす坊主達」の排除に成功した創価は今はどうなったか?
以前にも書いたが実は「何も変わっていない」のである。いや、より悲惨になった。と言ってもいいだろう。創価の言うところの威張り腐った坊主がいなくなった代わりに、威張り腐った幹部や議員が会員たちを小間使のように使い時間や金を搾取する。
なんのことはない創価民のいう「悪い坊主」を追い出したあとに待ったていたのは、
「悪い坊主」以上に「悪い幹部」だったのである。
そういえば「北斗の拳」でもあったよね。ラオウがいなくなって平和になると思っていたのに
ラオウの元部下の総督ジャコウによりラオウ統治時代よりも酷い時代になってしまった。
まさに、いまの創価は総督・ダーハラの支配により、僧侶がいた時代よりも酷い世界になった。
査問・役職剥奪・活動停止・除名の処分が全国で行われている現状。
「会合で公明党を批判した」「ネットで創価執行部を批判した」などという理由で
創価から除名されたり正宗から破門されたりすることはないだろう。
逆に「信徒」をそのような政治的理由で除名するような創価執行部こそ法主上人から厳しく注意されると思う。
大切な日蓮正宗の信徒である学会員を学会の都合で処分するのは許されないことだからだ。
しかし、悲しいかな創価民達は自分たちの手で僧侶を排除してしまったのである。
「僧侶」を排除するのは決して会員のためなのではなかったのだ。
一会員はよほどのことがないかぎり、正宗の僧侶から注意されたり叱られたりすることはない。
言い方は悪いがそこまでご住職や僧侶と会う機会など一会員にはない。
「僧侶」を排除したかったのは自分たちの思い通りに会員を動かし利用したかった大作センセと創価上層部なのである。
日蓮正宗創価学会でいる限り、創価学会の会長であろうとなんであろうと法主上人のご指南を受けなければならない。
それが大作センセや創価執行部は「イヤ」だったのだろう。
創価学会は自分たちの「組織」なのだから、宗門から口出されたくない。という話だろう。
その証拠に、破門後の創価はやりたい放題である。
化儀も教義も勝手に変え、本尊の決定権は会長にあるとかいいだし、大御本尊を捨て創価学会仏まで創作する。
さらに、会員に対する一方的な処分・粛清はご存知のとおりだ。
また、宗門と別れからと言って財務が無くなったわけでもない。
思うに創価民にとっては、正宗のご僧侶がいたほうが幸せだったのだ。
威張り腐った幹部や不条理な指導もご僧侶がいればキチンとそうした創価幹部を是正してくれる。
幹部が威張れないように、ご僧侶が抑止力となってくれた。
ご僧侶は、信徒である創価幹部を「威張らせない」ために必要だった。
その抑止力を排除した今、いたいけな一会員を傲慢な幹部や不条理な指導から守ってくれる存在は創価内に居なくなった。
いまの創価では自分が傲慢で不条理な幹部になるか、それに耐えて仏法ではない学会活動を続けるか、創価から離れるか三択だ。
ならば迷わず創価から離れるを選択するのが真人間の選択ではないだろうか。
別に退会しろとか正宗に入信しろとかそういう話ではなく、
創価の組織・活動から離れろ。ということである。
いまの創価はラオウ亡きあとの悪の総督・ジャコウが支配する欺瞞と奸計が横行し、恐怖と粛清の嵐が吹き荒れる中央帝都のようなものである。
一日も早くそこを逃げ出さなければか弱く名も無き末端会員は生涯忍従の日々を送ることになる。