創価ダメだしブログ

創価・顕正、その他異流義破折と日蓮大聖人の仏法を正しく伝えるブログです。日蓮正宗への勧誘サイトではありません。

追撃の手を緩めるな(笑)

久々に学会員・ラン氏の「極悪なんちゃら」ブログを読んでみた。

と言ってもラン氏もブログ開設当初はそれなりに自分の意見や主張を語っていたが

自らの教学力・学習能力に限界を感じたのか、最近ではたまぁ~にブログを更新しても

自らの言葉で語ることは少なく、大作センセのご指導のコピーをペタペタと

貼り付けるだけのなんとも無味乾燥なブログになっている。

今回もまた大作センセの「人間革命」の中から例の「追撃の手を緩めるな」の部分に関するコピペだ。

歴史を改竄し美化している三流ゲス小説「人間革命」をコピペして一体何がしたのだろうか?

戸田会長の遺言とされる有名な「追撃の手を緩めるな」の言葉も、

それを聞いたのは大作センセただ一人。

しかもセンセがそれを聞いたというその日に大作センセと戸田会長が「二人だけ」になれる状況はなかったということは、

石田次男氏や竜年光氏らの証言で明らかでありその他の状況証拠を鑑みても

戸田会長から大作センセへ「追撃の手を緩めるな」の遺言は捏造である可能性が高い。

まぁ「小説」だから大作センセの妄想を書いたとしても何も悪くないが、

そんな「妄想」を事実だと思い込み剰えその妄想を基にして正宗誹謗をするであれば看過できない。

さてラン氏の引用した「人間革命」には、当時正宗の所化頭の的場正順師を散々悪者として書かれているが、

実際はこの日の事件とは大作センセの指揮の元、創価の青年部が的場正順師を大石寺境内を流れる潤井川の水に沈め、

暴行を加えたとう創価の青年部による立派な「暴行事件」なのである。

それは的場師の手記や当時の目撃者達の証言でハッキリしている。

池田センセ言わせると「酒に酔っているなら川で顔を洗ったらどうすか?」らしいのだが、

どこの世界に大勢の敵対心剥き出しの青年に囲まれた状態で、

「はい。では川で洗面します」と大人しく従うバカがいるもんか。

川で顔を洗っているスキに何をされるかわからなし、

そもそもトラブル相手のリーダーに従うならば、酔ってもいないし最初から従っているって~の。

創価青年部側と的場師側に何らかのトラブルがあってこのような事態になったようだが、

そのトラブルの原因については創価は的場師が所化さんを虐めたとかなんとか主張しているし

正宗側は創価青年部の使いっパになっていた所化さん的場師が注意すると同時に

創価青年部にもそのようなことをしないように抗議したといっている。

また例の「3.16。大作プレゼンツ」の車駕についても、境内では乗り物禁止であると抗議もしたそうだ。

個人的は「車駕」について文句を言われたのが大作センセがカチンときたのだと思っている。

なんてたって戸田先生を乗せる「車駕」は大作センセ発案の最高のサプライズである。

まぁ本当のところは分からないが、少なくても大作センセがいうような「所化さんを見るに見かねて」という感じはしない。

大作センセは「所化さんの味方」をしたのではなく単に「創価青年部の味方」をしたという見解のほうが納得がいく。

ただし、創価青年部による的場師への暴行については宗創ともに多くの目撃談があるのでこれは事実であろう。

この3年前にもいわゆる「狸祭り事件」で僧侶に暴行を加えているという事実もあるし、

当時(大倉商事時代)の大作センセの写真をみても、両手をポケットに突っ込みいかにもチンピラの風貌であり

「人間革命」に書かれている山本伸一君のように静かに諭すように話をする姿は想像できない。

あの写真を見ると大声で恫喝する池田大作君の方がよりリアリティーを感じる。

(大倉商事・池田大作・画像で検索)

さてそんな「暴行事件」をひた隠しにした「妄説人芸革命」では戸田会長が、

「衣の権威で、学会を奴隷のように意のままに操り、支配しようとする法主も、出てくるかもしれぬ。・・・・ことに、宗門の経済的な基盤が整い、金を持つようになれば、学会を切り捨てようとするにちがいない・・・。戦時中と同じように、宗門は、正法を滅亡させる元凶となり、天魔の住処にならないとも、限らないのだ・・・・。しかし・・・、日蓮大聖人の正法を滅ぼすようなことがあっては、断じてならない」そして、戸田は最後の力を振り絞るように叫んだ。「そのために、宗門に巣くう邪悪とは、断固、戦え。・・・・いいか、伸一。一歩も退いてはならんぞ。・・・・追撃の手をゆるめるな!」

と言ったとか言わなかったとか。なんか変である。

ラン氏のブログに昭和33年4月3日の大作センセの発言のYoutubeがリンクされているが、そこでは「ある人物がお小僧さんをいじめ創価学会を非常に馬鹿にしている存在の人物がおりました」と言ってる。翌日の聖教新聞にも「ある人が」と書いてある。

それがいつの間にか「ある人」は「正宗の僧侶」と変換され、さらには上記のように「法主」についても戸田会長が言及したことになっている。「ある人」から法主を含んだ「宗門に巣くう邪悪」にいつの間にか変換されているのである。

ラン氏がコピペした人間革命の章が発表されたのが破門後の平成4年。

昭和33年からずっと「ある人」だったのが破門後に「正宗の僧侶」に変換されているわけだ。

もしも戸田会長がこの「妄説」に書かれいる通りの発言をしたのなら

大作センセは自分しか聞いていない戸田会長の遺言を会員達に正確に伝えなかったことになる。

また戸田会長の指導を読んだり戸田会長の当時の振る舞いを示すご家族や当時の宗創の関係者の証言を読む限り

戸田会長はご僧侶を大変に尊敬し大切にしていたことが窺われる。

その戸田会長が「人間革命」に書かれているような発言をましてや病床に伏している状態でするとは到底思えない。

しかもそれを聞いたのは24時間看護を受けていたにも拘らず何故か「二人だけ」の時間を誰も知らないうちに持ったと自己申告している大作センセだけなのである。

それらのことを総合的に判断すると果たして本当に大作センセは「追撃の手を緩めるな」と戸田会長から遺言されたのか?

本当に戸田会長は「宗門に巣くう邪悪とは、断固、戦え」

「衣の権威で、学会を奴隷のように意のままに操り、支配しようとする法主も、出てくるかもしれぬ。」などという事言ったのか?

俺には到底この小説が事実だと思えない。

まぁ、なんにせよ今のヘタレ創価幹部や創価民は「「追撃の手を緩めるな」という自分達が信じている遺言は守れていない。

この「妄説・人間革命」を自分のブログにコピペしたランさん自身が、

当ブログに乗り込んできた挙句、当方の質問に回答不能になり「遁走」したわけだから一体何の冗談?と大笑いするばかりである。


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