創価ダメだしブログ

創価・顕正、その他異流義破折と日蓮大聖人の仏法を正しく伝えるブログです。日蓮正宗への勧誘サイトではありません。

創価教学じゃない御書講義(2023年1月座談会御書・諸経と法華経と難易の事)

仏法やうやく顚倒しければ世間も又濁乱せり、仏法は体のごとし世間はかげのごとし体曲れば影ななめなり

 

今回の座談御書の一節も以前に取り上げた御文です。当ブログで創価の座談会御書を取り上げて分かったのだが、創価の座談会御書って同じ御文を数年に一度のサイクルで繰り返しやっているだけで、新規の御文を取り上げることってほぼ無いんだよね。要文だから仕方のない部分はあるけど「やっつけ仕事」みたい。もっとも実際に座談会で講義する連中も「やっつけ仕事」だから気にしないのかも知れないがそんな御書講義なんて意味ないと思うけどな。今回の御文は読んだ通り。また今回の御文で伝えたい部分は以前の記事に書いたのでそちらを再読してくれればと思います。

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さて創価では「信心を根本として~」みたいな講義をするのだろうが、その初手の信心が顛倒しているのが創価の信心であることを御存知だろうか?仏法は何故顛倒してしまうのか?それは以前の記事に書いたように邪師による「間違えた仏法の解釈」とそれに騙され信じてしまう邪教の信徒たちによって顛倒してまうのであると大聖人は明察されています。勘違いしている人もいると思いますが釈迦仏ぼ説いた仏教そのものには、高低・浅深の区別はありますが正邪はありません。正邪が生まれてしまうのは人師による「仏法解釈」の誤りが原因なのです。そのような事がないように釈迦や天台・伝教も唯授一人・面授口決によってその奥義を伝えるという方法を用いているのですが悲しいかな名聞名利や我見我執により仏法を捻じ曲げて解釈しそれを広めんとする邪師が絶えない。それにより仏法が顛倒・破壊され結果的に濁世となり自身の人生も不幸になっていくわけです。大聖人の仏法もまた然り。唯授一人血脈相承を否定し唯一の純然たる大聖人の随自意の本尊である戒壇大御本尊を捨てたのが池田大作でありその邪師に従って仏法を顛倒たらしめているのが創価活動家です。そんな池田創価の教える信心を根本としたら当然良い結果を生むことはありません。またそのような池田創価が支援する公明党が与党にいたら政治も良くなるわけがない。実際に公明党が与党になってからこの日本はよくなりましたか?多くの一般国民は今の日本に希望や期待を持てていない状況であると思います。創価員は創価の信心で幸せになってといいますが、それは統一教会の信者と同レベルの話です。客観的に大聖人の仏法と照らせば創価は謗法・創価は顛倒・創価邪教であることは事実です。それでも創価の信心で幸せになれるなら創価教は大聖人の仏法を超えるモノであり池田大作は大聖人を凌ぐ存在となります。気持ち悪くないですか?そんな信心してて怖くないですか?その気持ち悪さや怖さは統一教会なんて目じゃないと思いますよ。今年1年を良い1年にしたいならまずは創価信仰からキッパリと離れることです。信仰を止めるか正宗に移籍するかはじっくりと自由にすればいいと思います。大切なのは1秒でも早く創価から離れることです。今年は創価学会員という重苦しい荷物を捨て去った方がいいですよ。

 

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