創価ダメだしブログ

創価・顕正、その他異流義破折と日蓮大聖人の仏法を正しく伝えるブログです。日蓮正宗への勧誘サイトではありません。

「5・3創価学会の日」池田センセ会長就任60周年。

昨日の5月3日は「ゴミの日」・・・間違いました。創価学会の日でした。大作センセが会長就任した日ですね。今年はなんと大作センセ会長就任60周年記念だそうで昨日の聖教新聞にも【お元気だった頃】の大作センセの幸せそうなお写真が掲載されているようです。昭和35年の5月3日に大作センセは創価の3代会長に就任したんですね。聖教新聞にも書いてありますが、

▼「若輩ではございますが、本日より、戸田門下生を代表して化儀の広宣流布をめざし、一歩前進への指揮をとらせていただきます」

と聞き方によると「ハッタリ」をカマすような力強い当時32歳の大作センセの就任の言葉は創価民の中でも有名だとおもいます。本人も10年くらい前の随筆かなんかで恩師戸田先生の遺影の前で上記の言葉を戸田先生と約束したとか回想してたような気がします。ではこの挨拶に後になんと続けたか創価民さんは知っていますか?教えられていない人が多いので知らない創価民さんも大勢いると思いますので教えちゃいますね。この言葉の後に大作センセが戸田先生の遺影の前で語ったのは、

▼「わが創価学会は、日蓮正宗の信者の団体であります。したがって、私どもは大御本尊様にお仕え申し上げ、御法主上人猊下に御奉公申し上げることが学会の根本精神であると信じます」

というセリフです。昔、これを教えたあげた創価民が「そんなこと言ったなんて知らない。ウソを言うな」と食って掛かってきたことがあります。大作センセの会長就任の挨拶はYouTubeなどの動画にアップされているのでウソも何もないのですが創価民のあまりの情弱ぶりにはブッたまげます。(疑う創価民は自分でネットで検索してください)この連続した文句は一体なんですよ。「化義の広宣流布」というのは「大御本尊にお仕えし」「御法主上人猊下に御奉公する」という事なんですね。「大御本尊」と「法主上人(唯受一人血脈)」から離れた「化義の広宣流布」は大聖人仏法ではありません。つまり大作センセと創価は「化義の広宣流布」を一歩前進させたどころかむしろ100歩後退させたわけです。また大作センセは60年前に恩師戸田先生の遺影の前で約束したことを反故にした師敵対の反逆者であり今の創価は大御本尊を蔑ろにする仏敵だということです。と書くと今の創価民は、当時は正宗と蜜月だったから正宗を立てあげたとか、最初から創価は独立した宗教団体だったとか言うんですけど、そもそも創価学会日蓮正宗の一講中なのは明らかでしょう。教義も本尊も日蓮正宗のものを使って宗教法人を取得したのが創価です。最初から別ならばなんで日蓮正宗の教義と本尊を使って宗教法人を取得したのか?って話です。さて上記のような挨拶をした池田会長は17年後の52年には早くも正宗支配(または独立)を画策するわけです。(実際にはそれ以前からですが)その時は側近たちの裏切りで作戦は失敗しますが、会長就任から30年目には「御法主上人猊下」を罵倒し翌年はついに思惑通り正宗から「破門」されるという大作センセの作戦はまんまと成功するわけです。こうしてみると戸田先生の遺影の前での誓いなどほぼ守らなかったのか池田創価の歴史ですね。上記の赤字の大作センセの会長就任挨拶を読んで創価民さん達は何を思いますか?会長自ら「学会の根本精神」といっていたのにその根本がもう30年も前に覆っているのですよ。しかも言った本人が覆している。それが創価民さん達が誇らしげに語る「創価の師弟」ってやつなんですかね。普通の感覚なら宗教的指導者が宗旨の根本を180度変えたら指導者として信用できないって思うはずなんですけどね。これでは5・3は「創価ゴミの日」という名称の方が相応しいと思います。私が男子部活動家だった頃大作センセは「変節漢は人間として最低である」と何度も指導していましたが、大作センセこそその最低の人間ですね。そしてそんな最低の人間を師匠と仰いでる人も同じ穴の狢です。もし大作センセが変節漢でないなら60年前の会長就任時に恩師の遺影の前で平気で嘘をつけるサイコパスです。「いや池田先生は大御本尊を捨てていない」という人もいるでしょう。確かに大作センセの口から大御本尊を受持しないと聞いたことはありません。ならば今の創価は大作センセの意思を捻じ曲げた大作センセの敵でしょ?何故そんな創価にいるんですか?今月の5月30日は創価をやめて「ゴミゼロの日」にしませんか?きっとスッキリしますよ。


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