創価ダメだしブログ

創価・顕正、その他異流義破折と日蓮大聖人の仏法を正しく伝えるブログです。日蓮正宗への勧誘サイトではありません。

創価教学じゃない御書講義(2020年5月座談会御書・開目抄)

我並びに我が弟子諸難ありとも疑う心なくば自然に仏界にいたるべし、天の加護なき事を疑はざれ現世の安穏ならざる事をなげかざれ、我が弟子に朝夕教えしかども疑いををこして皆すてけんつたなき者のならひは約束せし事をまことの時はわするるなるべし

今月の座談会御書は開目抄の上記の一節です。私が創価活動を始めたばかりの頃がこの御文が印刷してあるカードが仏壇に置いてあって私が一番最初に暗記した懐かしい御文です。「開目抄」は人本尊開眼の書で大聖人が末法のご本仏である事を示された重書です。それについてはまた後日書きたいと思います。では早速今回の御文について「創価教学じゃない」講義をします。

初めに【我並びに我が弟子】の「我」というのは人本尊であるご本仏日蓮大聖人の事であり人法一箇の戒壇大御本尊です。この部分を「創価の師弟」なんて読み違えると「開目抄」そのものをと読み違えます。ここはあくまでも「大聖人(大御本尊)」と「大聖人の弟子」です。池田や創価の弟子ではありません。さて御文では「我」と「我が弟子」が約束したことを守れば必ず成仏ができると言われています。では【約束せし事】とは何かというと、これは「我(ご本仏)」から弟子への「約束」と「弟子」からご本仏への「約束」があります。「ご本仏」からの約束は【自然に仏界にいたるべし】で、必ず弟子を成仏させるという約束です。このように約束できるのは大聖人(大御本尊)がご本仏だからです。池田や創価執行部・創価幹部も「創価学会から離れなければ幸せになる」などといいますが、これは言葉だけでその根拠・実体は何もありません。彼らは人本尊でもご本仏でもないのですから当然です。次に「弟子」からの約束は【諸難ありとも疑う心なくば】で、どんな難があっても疑わず信心を貫くということです。この相互の約束が【約束せし事】です。この約束を守るものがご本仏の弟子なのです。そして【つたなき者】とは大御本尊を捨てた創価及び創価民のことです。本文に【まことの時】とありますが、これも2筋あります。一つは「弟子」つまり自分自身に難が起きた時であり。もう一つは「ご本仏(大御本尊)」に難が起きた時。自分自身に難が起きて退転する人もいますが、「ご本仏(大御本尊)」への難を見て退転する人間の方が昔からはるかに多いのです。故に「我並び我が弟子」と言われているのです。大聖人ご在世であっても、

◆御勘気の時千が九百九十九人は堕ちて候(新尼御前御返事)

と書かれているように、大聖人佐渡流罪の時は1000人のうち999人が退転したと言われています。平成の宗創問題の時も約576万人いた正宗信徒からほとんどの創価民が抜け34万人に激減しています。初信で何も知らなかったとはいえ当時の私も999人の一人で今思うと恥ずかしい限りです。さて大御本尊を捨てた後の創価と言えば、大御本尊と自分達のカラコピ掛け軸を同じなどといい、また大御本尊は後世の贋作という人たちも後を絶たない。これらは「大御本尊」に対する悪口罵詈であり誹謗中傷でありご本仏に降りかかる「諸難」です。まさしく今は【まことの時】なのです。この時に【約束せし事】を忘れずに大御本尊を信じ供養する弟子は「必ず仏界にいたる」のです。そして創価のごとき大御本尊を捨て誹謗中傷する者たちは【つたなき者】つまりご本仏との約束を違える「退転者」なのです。創価大作君は「師匠を守れ」といつも言ってましたが、彼自身、そして彼の築いた創価は「人本尊」であり「ご本仏」であり「根本の師匠」である日蓮大聖人即戒壇大御本尊を捨てた拙い退転者であり謗法者なのです。そして彼らに騙され大御本尊を捨てた創価民もまた拙き者どもです。私は創価学会に入会したのだからそんな約束してない?いやいや少なくても破門前の学会員はみな約束しています。ご本仏との約束とは事相でいえばご受戒ですから。大聖人から「授」けられ我々はそれを「受」けたのです。それが「受戒・授戒」ということです。残念なことに破門後入会会員は最初から「約束」していないので今回の御文には無関係ですので「自然に仏界」には至りません。破門後入会の学会員さん!どうですか?ちゃんとご本仏と「御受戒」という約束しませんか?破門前の会員さんももう一度約束しなおしませんか?そのためにはまず「爾前迹門の邪法邪師の邪義を捨てて」そして「法華本門の正法正師の正義を持ち奉る」ことです。あなたたちは一度その約束をしたじゃないですか。「まことの時」に忘れちゃいましたか?拙いなぁ・・


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