ニセ本尊といえば創価の盗品変造本尊を思い浮かべる法華講員さんも多いと思います。元顕正会の講員さんとか顕正会と対論したことある人は知っているのでしょうが実は顕正会もこっそりニセ本尊を作っています。顕正会の本尊というと昭和60年の段階では、
▼ 大幅の常住御本尊七幅と、日寛上人書写の御形木御本尊数百幅を私に託して下さった。(顕正新聞 昭和60年3月15日号)
と浅井センセが発言していますが、その後、平成11年には
▼松本尊能化は、妙縁寺に所蔵するところの 歴代上人の御直筆御本尊七幅、 それから日寛上人の御形木御本尊、 並びに日布上人の御形木御本尊を多数用意して下さったのであります。(顕正新聞 平成11年4月25日号)
と昭和60年の時点では言っていなかった「日布上人の御形木御本尊」がいきなり登場します。しかも「多数」です。更に調子に乗った浅井センセは平成19年に
▼地方会館に安置し奉る大幅の日布上人の御形木御本尊と、自宅拠点に懸け奉るべき日寛上人の御形木御本尊を、松本尊能化にぜひ用意してくださるよう、敢えて願い出て、これを授与して頂いたのであります。このときさらに松本尊能化は『葬儀のとき困るでしょう』とおっしゃって、日布上人御書写の『大日蓮華山大石寺』の脇書がある導師曼荼羅の御形木御本尊まで、六幅授与して下さったのであります(顕正新聞 平成19年10月5日号)
と、今度は「大幅の」日布上人の御形木御本尊と「御形木の」導師本尊までもらったと言い出しました。もうこの次々と「もらった本尊が増えていく」発言だけでも十分に顕正会の本尊がニセモノであることが分かります。最初からもらっていたなら昭和60年の時にそういっているはずでしょう。さらに言えば「大幅の日布上人の御形木本尊」なるものは正宗に存在しない本尊です。顕正会の「大幅の日布上人の本尊」はその名の通り正宗の正式な日布上人の御形木本尊より「大きい」。これは何を意味するかといえば浅井顕正が日布上人の御形木本尊を勝手に【拡大コピー】して【大幅の本尊】と言っているわけでです。また御形木の導師本尊といっていますが、導師本尊を御形木にするなんて正宗の化義で聞いたことがありません。つまり御形木の導師本尊なるものは日蓮正宗に存在しない本尊です。日蓮正宗に存在しない本尊をどうやってもらい受けたのでしょうか?妙縁寺の当時の住職であり妙信講の指導教師だった松本氏が勝手に作った本尊ですか?ならば本尊としての用は足しませんね。浅井顕正が勝手に作成したならなおさらです。また私は平成3年ごろ知人の顕正会員の葬儀に参列したことがありますが、その葬儀に掲げられていたのは導師本尊ではなく普通の本尊でした(顕正会の葬儀に参列したのは初めてだったのでよく覚えています)昭和60年の段階で顕正会に導師本尊があったなら葬儀には導師本尊を使いますよね。なんで普通の本尊を葬儀で使用していたのでしょうか。そもそも最初の昭和60年の話からして松本氏が存命の時に自分の口から妙信講(顕正会)に渡したと発言しているなら信用できますが松本氏が亡くなってからの浅井顕正が一方的に「御本尊をもらった」と発表しているだけですから実に怪しい。また昭和49年の段階で妙信講(顕正会)本部の御本尊を返還するように本山から松本氏に通知してます。返還するようにと言われている状況で逆に御本尊を新規に下付するわけありません。そして当然のことですが、これは創価にもいえるけど日蓮正宗の本尊は日蓮正宗で無くなった時に返還すべきものなのです。信徒だろうと住職だろうとそれは変わらない。ご本尊を含め正宗の寺院にあるものは成田宣道や松本日仁の個人的な所有物ではないのです。住職というのは法主上人の任命ですから罷免されたり辞職したら何の権限もありません。それを法主上人の許可なく勝手に謗法団体に差し出すのはまさしく盗人でありそんな盗品を変造したり改造したりして「日蓮大聖人の御本尊」として配布し、しかも正統なる所有者である宗門・法主上人を誹謗する。いいですか、顕正本尊も創価本尊も偽物云々の前に「盗品」なんですよ。浅井も池田も泥棒なんです。そして盗賊が不正入手して加工した本尊を顕正・創価民はありがたがりなおかつその盗品改造(顕正本尊)盗品変造(創価本尊)を売って回っている活動家たちもまた盗賊の一味なのです。盗み取っりなおかつ改造された本尊に題目あげて「大聖人の御遺命達成」などと騒いで恥かしくないですか?「盗人猛々しい」とはそんなあなた達、顕正民・創価民のことをいうのですよ。しかしなんですが、創価と顕正の法論でお互いに相手の本尊の話にならないのは、どっちもニセ本尊だからそこには触れないのでしょうね(笑)
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