創価ダメだしブログ

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六巻抄拝読の為の基礎知識⑭(末法相応抄②)

今日は『末法相応抄・上』の基礎知識です。『末法相応抄・上』は法華経一部読誦について書かれています。末法に置いて法華経一部二十八品を読誦してはいけない理由が書かれています。曰く

◇一には正業の題目を妨ぐるが故に(中略)、二には末法折伏の時なるが故に(中略)、三には多く此の経の謂われを知らざるが故に

というのが一部読誦を禁止される理由です。法華経一部二十八品は大聖人が◆一部八巻二十八品六万九千三百八十四字と言われてる膨大な文字数です。これを唱題に換算すると約1万篇になります。「南無妙法蓮華経」の七文字を1万篇唱えると7万文字になるからです。創価だと1時間3千編計算ですから1万編だと時間にして3時間20分。朝夕の勤行で6時間40分になります。つまり法華経一部読誦をすれば唱題と同じスピードで読経できたとしても一日6時間40分が読経の時間に必要になるわけです。読経にこれだけ時間を費やすことになれば、肝心な正業である唱題を妨げることになりますし折伏行に使う時間や気力も奪われてしまいますね。また「法華経の謂われ」を知らない末法初心の行者が一部読誦をしても法華経の利益を得ることができません。以上の3点が法華経一部読誦を禁止する理由です。この抄はここだけ覚えればいいです。このあとに【次ぎに外難を遮す】要法寺の日辰の邪義(外難)を破折(遮す)していきますが、ここを詳しくやると長くなってしまうので簡単に内容だけ書きます。

【 問う、日辰が記に云わく、蓮祖身延九箇年】~【何んぞ必ずしも謬り無からん、例せば慈覚等の如し云云】は大聖人も一部読誦の修行をしていたではないかという外難を破折しています。

【問う、又云わく、転重軽受鈔十七-二十九に云わく】~【尚お一経の読誦を許さず、何に況んや五度をや云云。】は身業読誦と口業読誦の違いを述べ日辰の義を破折しています。

【問う、又云わく、蓮祖紹継不軽跡とは】~【故に正経に不肯読誦と云うなり】は不軽菩薩についての日辰の誤りを破折。

【問う、又日辰の記に云わく、御草案に曰わく】~【而るに日辰恣に之れを許す、是れ三の不可なり】は五人所破抄に対する日辰の間違えた解釈を破折。

【問う、日しゅう(貝+周)略要集に玄文第七の文を釈して云わく】~【何んぞ曲げて私情に會するや】は日辰の弟子の日しゅう(要法寺第20代)の書いた『略要集』に対する破折。

【問う、又云わく、不読の輩、五種の妙行を欠く等】~【二字と言うは三位順公が云わく云云。房州の要公が云わく云云。】は五種妙行に対する邪義の破折。

【問う、又云わく、報恩抄に云わく】~【日辰但初義を知って未だ後義を識らざる者なり。】は『報恩抄』の御文の曲解を破折しています。以上の大きく7項目にわたり要法寺・日辰等の邪義を破折して最後に

◇若し三事相応の人有らば何んぞ之れを制すべけんや。三事と言うは、一には此の経の謂われを知り、二には正業を妨げず、三には折伏を礙えず云云

と三事相応の人なら一部読誦していいと言われていますが、法華経の意を深く知って唱題も折伏も十分にできる人など末法に存在するわけありませんので実際は一部読誦は不可ということです。大聖人が『佐渡御書』で、

◆正法は一字一句なれども時機に叶いぬれば必ず得道なるべし千経万論を習学すれども時機に相違すれば叶う可らず。

と御指南されているように正法の修行は「時」と「機」によって違ってきます。末法今時の修行は自行化他の題目。すなわち唱題行と折伏行ですから、それを疎かにするような法華経一部読誦の修行は末法今時の修行ではないしそれをしても得道(成仏)できません。故に本抄に置いて

◇一経読誦を許さざる所以は是れ正業を妨げ折伏を礙ゆるが故なり

と日寛上人は御指南されているわけです。世が世なら私達も法華経一部読誦の修行をしなければいけなかったかもしれませんが末法今時に生まれたので五座三座で許されています。それもこれも一部読誦は免除するからその時間で唱題・折伏をするんだよ。ということですから唱題・折伏をサボってはいけませんね。創価なんて方便・自我偈の一座勤行ですから、さぞかし会員は唱題もたくさんあがって折伏もたくさん出来ているのでしょうね~(笑)さて日辰破折の部分はサクッと書いてしまったので、もし質問があればコメントしてください。

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